ムーアヘッド_(ミネソタ州)
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ムーアヘッド市
City of Moorhead

ムーアヘッド市中心部
愛称 : Your Hometown(あなたの故郷)[1]
位置

右: ミネソタ州におけるクレイ郡の位置
左: クレイ郡におけるムーアヘッドの市域
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯46度52分26秒 西経96度46分02秒 / 北緯46.87389度 西経96.76722度 / 46.87389; -96.76722
歴史
創設1871年[2]
行政
アメリカ合衆国
 州ミネソタ州
 郡クレイ郡
 市ムーアヘッド市
地理
面積 
  市域57.88 km2 (22.35 mi2)
    陸上  57.86 km2 (22.34 mi2)
    水面  0.02 km2 (0.01 mi2)
標高276 m (905 ft)
人口
人口2020年現在)
  市域44,505人
    人口密度  769.2人/km2(1,992.2人/mi2)
  都市圏249,843人
その他
等時帯中部標準時 (UTC-6)
夏時間中部夏時間 (UTC-5)
公式ウェブサイト : ⇒http://www.ci.moorhead.mn.us/

ムーアヘッド(Moorhead)は、アメリカ合衆国ミネソタ州北西部に位置する都市。ノースダコタ州との州境になっている北のレッド川(以下、特に断りの無い限り、「レッド川」はこの「北のレッド川」を指す)東岸、ファーゴの対岸に位置し、同市と共に都市圏を形成している。人口は44,505人(2020年国勢調査[3]で、州北西部では最大、ミネアポリス・セントポール都市圏外の都市としてはロチェスターダルースセントクラウドに次ぐ規模である(ミネソタ州全体では21位)。ファーゴに郡庁を置くノースダコタ州カス郡、およびムーアヘッドに郡庁を置くクレイ郡の2郡から成る都市圏は人口249,843人(2020年国勢調査)[4]を数える。この都市圏にワーペトン小都市圏(ウィルキン郡、ノースダコタ州リッチランド郡)を加えた広域都市圏は272,878人(2020年国勢調査)[4]の人口を抱えている。
歴史市中心部のフロント・ストリート(1916年

ミネソタ州北西部、レッド川東岸のこの地に、現在のクレイ郡となるブレッキンリッジ郡が創設されたのは、ミネソタ準州の州昇格と同年、1858年のことであった。当初の郡の名は、当時の大統領ジェームズ・ブキャナンの下で副大統領を務めていたジョン・ブレッキンリッジにちなんでつけられた。しかし、南北戦争が開戦すると、ブレッキンリッジは南軍に従軍し、これに反発したミネソタ州民が州議会に圧力をかけた。その結果、1862年3月6日にこの郡名からブレッキンリッジの名を廃する法案が可決され、郡名はヘンリー・クレイにちなんでクレイ郡に改められた[5]

南北戦争の終結後、1871年に、ノーザン・パシフィック鉄道がこの地に開通すると、ムーアヘッドの町が創設された[5]。このムーアヘッドという名は、ノーザン・パシフィック鉄道の取締役であったギャロウェイ・ムーアヘッドにちなんでつけられた[2]。翌1872年には、クレイ郡の郡庁がムーアヘッドに置かれた[5]1881年には、ムーアヘッドは正式に市制を施行した[2]

初期のムーアヘッドはミネアポリスセントポールカナダマニトバ州ウィニペグとを結ぶ交通の結節点として発展した。ミネアポリス・セントポールやセントクラウドから陸路でこの地へやってきた乗客や貨物は、ムーアヘッドで船に積み替えられてレッド川を北上し、ウィニペグへと至った[2]。やがて1890年、ノースダコタ州の禁酒法が成立すると、ノースダコタの禁酒反対派州民はまだ飲酒が合法であったミネソタ州へと、レッド川を渡って飲みに来るようになり、ムーアヘッドにも酒場が建ち並んで賑わいを見せた。1900年には、人口わずか3,700人強のこの街に、レッド川に架かる橋の東詰を中心に47軒もの酒場が建ち並び、市の10世帯に1世帯はアルコール産業で生計を立てていた[6]。最盛期には100軒もの酒場が建ち並び、ムーアヘッドを「罪の街」と呼ばせしめた[2]。しかし、1915年にクレイ郡の禁酒法が成立し、程なくして連邦の禁酒法の成立するに至って、ムーアヘッドの酒場町としての時代は終わりを告げた[6]

第二次世界大戦中、多くの若者が従軍する中で、特に農村部では労働力が著しく不足し、ムーアヘッドも例外ではなかった。その最中、アイオワ州北部、ミネソタ州との州境に近いアルゴナにあったドイツ人捕虜収容所は10,000人を超える捕虜を抱えており、ミネソタ・アイオワ両州の至る所へ労働者として送り出された。ムーアヘッドにおいても、1944年には150人の捕虜を迎え入れ、地元農家で農作業に従事させた。ムーアヘッドには彼らが厳しい冬を越せるような施設はなかったため、収穫が終わるとこれらの捕虜は収容所へ戻されたが、翌1945年にも、前年よりその数は少ないものの、再びドイツ人捕虜を農作業者として迎え入れた。終戦後、彼らがドイツに帰国しても、ムーアヘッドの農家たちとの良好な関係は続いた[7]
地理

ムーアヘッドは北緯46度52分26秒 西経96度46分02秒 / 北緯46.87389度 西経96.76722度 / 46.87389; -96.76722に位置している。ミネアポリスセントポールから北西へ約350km、ノースダコタ州の最大都市ファーゴとは州境になっているレッド川をはさんだ対岸に位置する。レッド川の洪水で浸水したムーアヘッドの家屋(2009年春)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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