ムンバイ列車爆破事件(11 July 2006 Mumbai train bombings)は、インドのマハーラーシュトラ州の州都・ムンバイで現地時間2006年7月11日18時頃に発生した、ムンバイ近郊鉄道の車両が7ヵ所で爆破された事件である。会社などからの帰宅時を狙って起きた犯行であるため、多数の死傷者が出た。最終的に死者は209名(186人とも[1])、負傷者は700名を越えた。 11 July 2006 Mumbai train bombings
死傷者
確認された死傷者場所時間(インド標準時刻)死者負傷者情報源
Khar Road18:2471
Bandra18:24
Jogeshwari18:2529
Mahim18:2622
Bhayandar - Mira Road18:2944
Matunga Road18:3024
Borivali118:3510
合計11分間200714[2]
1一つの爆弾は爆発したが、もう一つは警察に発見され信管を取り除かれた為爆発しなかった。[3]
事件後、ムンバイの警察長官のA. N. Royは、これらの爆発で100人以上が死亡、数百人が負傷したと発表し、「7回の爆破は、世界の中で最も混雑した都市の通勤路線網に沿って発生した」とも付け加えた。マハーラーシュトラ州長補佐官のR. R. Patilによると合計200人が死亡し、714人の負傷が確認された[4] 。 死傷者はその後も増え続け、9月には209名に達した。
マハーラーシュトラ州、及びインドの主要都市は直ちに厳戒態勢が敷かれた。ムンバイにある2つの空港は警戒状態に入り、インド西部鉄道は閉鎖、その他の鉄道路線でも厳重な保安がなされ、通勤客へのボディーチェックと厳重な監視が実施された。都市バス企業のBESTが、取り残された通勤客へバスの振り替え輸送を実施した。
インド西部鉄道は数時間に渡って全面的に閉鎖されたが、現地時間の真夜中には部分的に解除された。インド中部鉄道は通常通り営業した。 事件後36時間以内におよそ350人が疑わしいとして身柄を拘束された。7月14日、ラシュカル=エ=クァッハル(Lashkar-e-Qahhar)と名乗る組織が、同事件の犯行声明を出した。テレビ局に送られた犯行声明の電子メールで、爆破は「グジャラート州とカシミール州でのムスリム弾圧に対する報復」であり、チャットラパティー・シヴァージー国際空港とインド門、アーグラのタージ・マハルやデリーの赤い城の爆破も計画していたと主張している。メールには、16人から成るグループが鉄道を爆破し無傷であるとも書かれていた。インド諜報機関によると、ラシュカル=エ=クァッハルは、ラシュカル=エ=タイバ(Lashkar-e-Taiba.略称LeT)の別働隊とされた。その後、ムンバイ警察は、ラシュカル=エ=タイバとインド学生イスラム運動
捜査
7月21日、3人の容疑者が逮捕された。2人はビハール州で、1人はムンバイであった。3人ともSIMIのメンバーであった。さらにケニヤで爆弾訓練を指導した疑いでアブドゥール・カーリーム・トゥンダが逮捕された。ラシュカル=エ=タイバの有力メンバーとしてインド公安当局が追跡していた男であった。
事件後、多くのムスリムが疑わしいとして身柄を拘束されたことから、ムスリムから抗議の声が上がった。
2009年の2月27日、ニュース番組でインディアン・ムジャヒディーンの指導者で拘留中のサディーク・シェイクは、ムンバイ列車爆破事件に関与したことを認めた。