ムロツヨシ
生年月日 (1976-01-23) 1976年1月23日(48歳)
出生地 日本・神奈川県[1]横浜市港北区菊名[2]
身長168 cm[3]
血液型A型
職業俳優、演出家、声優
ジャンル映画、テレビドラマ、舞台、アニメ
活動期間1999年 -
事務所アッシュアンドエー
公式サイトムロツヨシ公式ホームページ
受賞
TAMA映画祭
最優秀作品賞
2013年『横道世之介』第42回エランドール賞
新人賞
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ムロツヨシ(本名・非公開[4]、1976年〈昭和51年〉1月23日[1] - )は、日本の俳優、喜劇役者[5]。
神奈川県横浜市港北区菊名出身[1][2]、アッシュアンドエー所属[6]。東京理科大学理学部数学科中退[7][8]。 4歳のときに両親が離婚、親権は父になったが父は別の女性と親密になったため、5歳上の姉と共に親戚のもとで育つ[9][10]。横浜市立神大寺小学校[2]、横浜市立六角橋中学校[11][12][13][14]、神奈川県立鶴見高等学校[2]を経て、一浪して東京理科大学理学部数学科に進学[11][15]。入学後に「学びたいことがあってこの学科に来た」と語る同級生たちに出会い、「その志がまぶしく、偏差値の高い大学に入ることしか考えていなかった自分が恥ずかしかった。彼らみたいに、夢を持つ側の人になりたい」と思う[15]。ファンだった深津絵里が出演する舞台『陽だまりの樹』を観に行き、1幕ラストで段田安則が涙を流す芝居を見て感銘を受け、俳優を志した[5][11]。 大学は3週間で中退して俳優養成所(東京アクターズスタジオ)に入所[11][16][8]。劇団東京乾電池の研究生だった時期もあった[17]。中央卸売市場やコンサート会場でアルバイトで生活しながら小さな劇団の舞台に出る生活を続ける[11][15]。1999年から単独で舞台活動を開始するも下積み時代が続く[11]。2001年、演劇バトル「E-1グランプリ」[18]に出場するため役者数人を誘って演劇ユニット「劇団ヤニーズ」[注 1]を結成する[5][19]。しかし「ムロはアツすぎて俺たちとは違う」とクーデターが起きて発起者にもかかわらずクビになり、その後もう一度参加したりもしたが結局退団する[5][19]。 2005年の映画『サマータイムマシン・ブルース』を足掛かりに映画にも出演する[16][20]。 2008年から、舞台「muro式」[21]を定期的に開催。本舞台では脚本・演出・出演をしている[20][22]。2009年12月から舞台『muro式』の広報活動の一環として、muro式トークライブ「ムロツヨシ、バナシ」を開催している。自身が所属する事務所のコントライブ『東京コントメン』のMCを立ち上げから2018年まで担当した。 2014年、情報誌『日経トレンディ』が選ぶ「今年のヒット人」に選ばれる[23]。 2015年11月10日、喉の手術のために入院[24]。11日に手術を受け、12日に退院[25]する。 2017年4月25日、渡辺直美に教わってInstagramアカウントを開設。開設後5時間でフォロワー数が20万人[26]、1日で36万人を突破[27]するなどして話題になった。 2018年、42歳でエランドール賞新人賞を受賞[28]。5月10日には2008年から続けてきた舞台の集大成となる『muro式.10』の千穐楽を迎え、これを一区切りとして次は新しい舞台を作ると発表した[29]。 2021年秋公開の映画『マイ・ダディ』で実写映画初主演[30]。 2022年3月31日にASH&Dコーポレーションを退社し、“暖簾分け”で4月1日から新事務所「アッシュアンドエー
略歴
以前から6月24日を「ムロツヨシの日」と自ら発信していたが、主演映画『神は見返りを求める』の宣伝担当者が6月24日を「ムロツヨシの日」として一般社団法人日本記念日協会に申請し、正式に認定されたことが2022年の当日に本人にもサプライズで発表された[32]。
2023年10月11日、ドラマ撮影中に腹部に痛みを感じたことから病院で検査をしたところ、腹膜炎と診断されそのまま入院した[33]。
人物
芸名のムロツヨシに姓名の区別はなく、映像作品のクレジットタイトルが英語の時はMurotsuyoshiと無空白で連続して記述されている。芸名にしたのは、両親の離婚以来会っていない母に知られたくないと考えたため。芸能界入りした頃には母親にも新たな家庭があったため、息子が芸能人になったと知られたら「目障りだろうな、と思った」[9]。父親も新しい女性と暮らして子供もいたが、父親についても「嫌いではなく、軽蔑もしてなく。楽しそうに生きているんだな」と感じ、「仕事が大工でこれがカッコ良かった」と語っている[10]。
小劇場に出演していた頃、演出を試行錯誤する中である役者が他の役者からずるいと言われ出した演出を手掛かりに飄々とした独特の間やテンポの「ずるい」芝居のスタイルが始まった[34]。下積み時代は長かったが、無名の役者として多数の作品に出演して3枚目から真面目な役まで幅広く演じたことで様々な俳優や監督とのつながりが広がる[35]。特に佐藤二朗らと共に「福田組」の常連として映画『銀魂』[36]や『50回目のファースト・キス』[37]など多くの作品に出演しているが、これらを手掛けた福田雄一監督と知り合ったことがブレイクに一役買っていると言われる[35]。作品出演だけでなく、それをPRする記者会見の場でも俳優たちの間でうまく立ち回って作品の話題性を上げるなど、制作側からの評価も高い[35]。
映画『交渉人 真下正義』(2005年公開)で共演して以降[38]、小泉孝太郎と親交が深く、小泉家とも家族ぐるみの付き合いがある[39]。メディアアーティストの真鍋大度は大学の同級生[40]。大学には1か月程度しか通わなかったが、この間に一緒にキャンプに出掛けている。2014年にラジオ番組『スパカン!』(文化放送)のゲストに真鍋を招き、20年ぶりの再会を果たした[41]。
映画『疾風ロンド』出演の際、スキーを練習した。それ以来、趣味はスキー[42]。
トーク番組『サワコの朝』(TBSテレビ)に出演した際、「思い出の中で今でも輝いている曲」にとんねるずの『雨の西麻布』、「今、心に響く曲」にウルフルズの『笑えれば』を挙げている[43][44]。
好きな映画は、ジャック・ニコルソンとモーガン・フリーマン主演の『最高の人生の見つけ方』[45]。好きな本は、伊坂幸太郎著の『アヒルと鴨のコインロッカー』[45]。