ムルシア
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Murcia

  


 ムルシア州
 ムルシア県
面積881.86 km2
標高43m
人口439,712 人 (2014年)
人口密度498.62 人/km2
住民呼称murciano/-a
守護聖人聖パトリシオ
フエンサンタの聖母
Murcia スペイン内ムルシアの位置 Murcia ムルシア県内ムルシアの位置

北緯37度59分10秒 西経1度7分49秒 / 北緯37.98611度 西経1.13028度 / 37.98611; -1.13028座標: 北緯37度59分10秒 西経1度7分49秒 / 北緯37.98611度 西経1.13028度 / 37.98611; -1.13028

ムルシア(Murcia)は、スペインムルシア州ムニシピオ(基礎自治体)。ムルシア州の州都であり、人口は約42万人でスペイン第7位。衛星都市を含めたムルシア都市圏は56万人で、都市圏としてはスペイン第12位。セグラ川に面する。
目次

1 歴史

2 地理・気候

3 政治

4 人口

5 経済

6 名所

7 祭り

8 交通

9 教育

10 スポーツ

11 姉妹都市

12 参考文献

13 脚注

14 外部リンク

歴史

825年、ムルシアは「メディナト・ムルシヤ」という名前で、アンダルスを支配した後ウマイヤ朝アミールアブド・アッラフマーン2世によって建設された。アラブ人はセグラ川の流れの利点を活かし、複雑な灌漑用水路のネットワークを作り上げた。これによって町は繁栄し、近代の灌漑システムの先取りとなった。12世紀にアラブ人の地理学者イドリースィーは、この町を人口が多く、強く要塞化されていると述べている。コルドバのカリフが倒れると、ムルシアは順にアルメリアトレドセビリアの支配下に入った。1172年、ムワッヒド朝の支配下に入ったが、1223年から1243年までは独立した王国となった。

1243年、カスティーリャフェルナンド3世の息子アルフォンソ(後のアルフォンソ10世)に率いられたカスティーリャ軍はムルシアを奪い、多くの移住者が北カスティーリャとプロヴァンスから移住した。1296年、ムルシアとその領域はアラゴン王国に引き渡されたが、1304年、トレラス条約によって最終的にカスティーリャに編入された。

18世紀、ムルシアは絹織物業によって繁栄した。教会や記念碑の多くはこの時期に建てられている。

ムルシアと周辺の地域は、1651年、1879年、1907年に洪水の被害を受けたが、堤防の建築はセグラ川を水路の中にうまく留めている。有名な歩道マレコンは、堤防の上に引かれている。

1829年、ムルシアは地震に襲われた。約6,000人の死者が出たと推定されている。

1838年にはムルシア県の県都となった。1982年にはムルシア県単独でムルシア自治州が成立し、ムルシアはムルシア自治州の州都となった。
地理・気候

「ウエルタ」または「ムルシアの菜園」として知られる豊かな低地の平原のほぼ中央に築かれている。その平原はセグラ川の谷を含み、右手には支流のグアダレンティン川が流れ、山地に囲まれている。

ムルシアは地中海性気候の影響を受けたステップ気候ケッペンの気候区分ではBSh)である[1]。地中海に近いために、『半乾燥・地中海性気候』と一般的に称され、夏は暑く冬は温暖である。降水量は少なく、2004年10月から2005年9月の1年間に観測された降水量は200mm以下だった。

 ムルシア-アルカンタリーリャの気候
月1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月年
平均最高気温 °C (°F)16.4
(61.5)18.2
(64.8)20.4
(68.7)22.5
(72.5)25.8
(78.4)30.0
(86)33.4
(92.1)33.6
(92.5)30.2
(86.4)25.5
(77.9)20.0
(68)17.0
(62.6)24.4
(75.9)
日平均気温 °C (°F)10.1
(50.2)11.7
(53.1)13.5
(56.3)15.6
(60.1)19.0
(66.2)23.1
(73.6)26.2
(79.2)26.7
(80.1)23.6
(74.5)18.8
(65.8)14.1
(57.4)11.1
(52)17.8
(64)
平均最低気温 °C (°F)3.9
(39)5.2
(41.4)6.7
(44.1)8.7
(47.7)12.2
(54)16.2
(61.2)19.0
(66.2)19.9
(67.8)16.9
(62.4)12.7
(54.9)8.2
(46.8)5.2
(41.4)11.2
(52.2)
降水量 mm (inch)2
(0.08)28
(1.1)30
(1.18)27
(1.06)32
(1.26)20
(0.79)5
(0.2)10
(0.39)27
(1.06)44
(1.73)32
(1.26)21
(0.83)301
(11.85)
平均降水日数33344211244435
出典: Agencia Estatal de Meteorologia[2]

政治

首長一覧(1979-)任期首長名政党
1979?1983ホセ・マリーア・アロカ・ルイス=フネス
PSOE
1983?1987アントニオ・ボダロ・サントージョPSOE
1987?1991ホセ・メンデス・エスピノPSOE
1991?1995ホセ・メンデス・エスピノPSOE
1995?1999ミゲル・アンヘル・カマラ・ボティアPP
1999?2003ミゲル・アンヘル・カマラ・ボティアPP
2003?2007ミゲル・アンヘル・カマラ・ボティアPP
2007?2011ミゲル・アンヘル・カマラ・ボティアPP
2011?2015ミゲル・アンヘル・カマラ・ボティアPP
2015?2019ホセ・バリェスタ・ヘルマンPP
2019?n/dn/d

人口

ムルシアの人口推移 1842?2011

出典:INE(
スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[3]、1996年 - [4]

経済

ムルシアでは農産物の生産が盛んである。パプリカDO指定[5]。ヨーロッパのスーパーマーケットでは、ムルシア産のトマト、レタス、特にレモン、オレンジがよく見られる。

最近では、「居住観光」が注目されている。北ヨーロッパの多くの人々が陽光豊かなムルシアに別荘を持っている。
名所 南方のカラスコイ山地から見たムルシア市街

カテドラルは、1394年から1465年にかけてカスティーリャ・ゴシック様式で建てられた。1792年に完成された塔は、スタイルの混成を示している。最初の2階(1521-1546年)はルネサンス様式で、3階はバロック、鐘塔はロココ新古典主義の影響が見られる。ファサード(1736-1754年)は、スペイン・バロックの代表作と見なされている。

ほかにカテドラル前の広場(カルデナル・ベルーガ広場)で有名な建物には、カラフルな司教館(18世紀)や、建築家ラファエル・モネオの手による物議をかもした新市庁舎がある。

セグレ川沿いのグロリエタは、伝統的な市の中心部で、18世紀に作られた景色のよい場所である。アユンタミエント(市庁舎)はここに位置する。

歩行者用の区域は旧市街のほとんどを占め、中央にプラテリア通りとトラペリア通りがある。トラペリア通りはカテドラルからサント・ドミンゴ広場(以前の市場)に通ずる。


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