ムッラー
ムハンマド・ヤクーブ
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アフガニスタン国防大臣代行
現職
ムッラー・ムハンマド・ヤクーブ・アフンド(パシュトー語: ??? ???? ????? ????? ムッラー・ムハンマド・ヤクーブ、Mullah Mohammad Yaqoob、 1990年 - )は、アフガニスタンの軍人・政治家。ターリバーンの副指導者にして、アフガニスタンの国防相。
日本では「ヤクーブ師」と報じられる事が多い[1][2][3][4]。 2015年より前のヤクーブのターリバーンにおける地位は不明である[6]。 2015年、ヤクーブの父親でターリバーン最高指導者でもあったオマル師の病死が公表され、ターリバーン指導部が2年もの間隠蔽していたことが発覚。隠居していたオマル師に代わってターリバーンを取り仕切っていたマンスール師が最高指導者に就任したが、後継者決定に関する議論に参加できなかった司令官の不満や、指導部に対する不信、オマル暗殺説の存在で内紛が発生した。ヤクーブはいち早く父オマル師が暗殺されたとする見方を否定した[7]。この内紛中、ヤクーブは後にラスール派としてターリバーン分派となる上級司令官Abdul Manan Niaziとダドゥラから後継者として支持されていた[8]。 2016年、ヤクーブはアフガニスタンの34州のうち15州における軍事委員会の長に任命された[9]。同年マンスール師が米軍によって殺害され、副指導者アクンザダ師が後継に選ばれたためヤクーブが副指導者に任命された。 2020年、2014年からターリバーン全体における軍事委員会の長だったイブラヒム・サドルに代わってヤクーブが軍事司令官に任命された[10]。 2021年、ターリバーンの暫定政権で国防相に任命された[11]。 2022年6月2日、アフガニスタンとインドの防衛協力に関して、良好な外交関係を前提条件として挙げた上で、インド軍事アカデミーに将校を派遣する事は何ら問題にならないとして、前向きな発言をした[12]。 西側の評論家の一部からは比較的穏健であると評価されている[13]。アフガニスタン紛争中、ターリバーンの軍事指導者として、各州の軍司令官への指揮や、「影の州知事」に対する任命権を持つなど大きな影響力を持っていた[14][15]。
来歴
人物
脚注^ “タリバン新政権トップにバラダル師か 女性の閣僚入り否定―アフガン:時事ドットコム
^ INC, SANKEI DIGITAL (2021年8月19日). “謎に包まれたタリバン 3人の副指導者が集団指導
^ “タリバン、アフンド師が首相代行 アフガン暫定内閣、旧政権要職多く”. 毎日新聞. 2021年11月26日閲覧。
^ “タリバン、国防相代行に初代指導者の息子|全国のニュース|富山新聞”. 富山新聞. 2021年11月26日閲覧。
^ “ ⇒Database”. www.afghan-bios.info. 2021年11月23日閲覧。
^ “The Rise Of Mullah Yaqoob, The Taliban's New Military Chief” (英語). RadioFreeEurope/RadioLiberty. 2021年11月23日閲覧。
^ “The Rise Of Mullah Yaqoob, The Taliban's New Military Chief” (英語). RadioFreeEurope/RadioLiberty. 2021年11月23日閲覧。