ムハンマド・ビン・サルマーン
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ムハンマド
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サウード家
2017年 撮影
続柄第7代サウジアラビア国王: サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズの第7王子

全名ムハンマド・ビン・サルマーン・アール=サウード
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称号王太子
敬称殿下
出生 (1985-08-31) 1985年8月31日(38歳)[1]
サウジアラビアリヤド
配偶者サラ・ビント・マシュール・アル・サウード(2008年 - )
子女サルマン王子
マシュール王子
ファダ王女
ノーラ王女
アブドゥルアズィーズ王子
父親サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズ
母親ファハダ・ビント・ファラ・アル・ヒスライン
役職首相
経済開発評議会議長
王宮府長官
宗教イスラム教ワッハーブ派
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アメリカ合衆国国務長官ジョン・ケリーリヤドで会談(2015年5月7日)ロシア連邦大統領ウラジーミル・プーチンと会談(2015年6月18日)内閣総理大臣安倍晋三首相官邸で会談(2016年9月1日)

ムハンマド・ビン・サルマーン・アール=サウード(アラビア語: ???? ?? ????? ?? ??? ?????? ?? ????, ラテン文字転写: Mu?ammad bin Salm?n ?l Su‘?d、英語: Mohammad bin Salman Al Saud、1985年8月31日[1] - )は、サウジアラビア政治家で、王太子首相兼経済開発評議会(英語版)議長王族サウード家の一員で、第7代国王サルマーン・ビン・アブドゥルアズィーズの子、初代国王アブドゥルアズィーズ・イブン・サウードの孫[2][3]
略歴
副王太子就任まで

ムハンマドは、スデイリー・セブンの一人であるサルマーンの子として1985年に生まれた。大学を卒業後、数年間民間で働き、内閣のための専門家委員会のコンサルタントを務めた[4]

2009年12月15日、リヤード州知事を務めていたサルマーンの特別顧問として政界入りした。これと同時に、閑職であるリヤード競争委員会事務総長、キング・アブドゥルアズィーズ公共財団会長の特別顧問、リヤード州のアルビル社会評議委員にも就任した[5]

2011年10月に伯父のスルターン王太子兼第一副首相兼国防大臣が薨御し、翌11月に伯父のナーイフが王太子兼第一副首相兼内務大臣に、サルマーンが国防大臣に就任すると、ムハンマドはサルマーンの私的顧問に就任した[6]

2012年6月、ナーイフ王太子兼第一副首相兼内務大臣が薨御し、サルマーンが王太子兼第一副首相兼国防大臣に就任すると、2013年3月2日、ムハンマドは王太子府長官・王太子特別顧問に就任した[7][8][9]2014年4月25日には国務大臣に就任した[10]

2015年1月23日、第6代国王アブドゥッラーの崩御に伴い、父サルマーンが第7代国王に即位し、併せて首相を兼ねると、同日にサルマーンが発した命により、ムハンマドは国防大臣、王宮府長官、国王特別顧問に親任された[11]。同月29日には、廃止された最高経済評議会の後継機関となる経済開発評議会の議長に就任し、軍事に加えて経済政策でも実権を得た[12]

2015年1月22日に隣国イエメンアブド・ラッボ・マンスール・ハーディー大統領が辞任を表明する(後に撤回)と、シーア派武装組織フーシイエメン全土を掌握した。これに危機感を持ったサウジアラビアはフーシに対立するイエメン暫定政権を支援する形で、3月からイエメンのフーシの拠点に対して空爆を行ってイエメン内戦への介入を開始した。これがムハンマドの国防大臣としての初めての大きな仕事となった[13]
副王太子として

2015年4月29日にサルマーンが勅命を発し、アブドゥッラーの崩御に伴い王太子兼第一副首相に昇格したばかりのムクリン・ビン・アブドゥルアズィーズが退任、副王太子兼第二副首相のムハンマド・ビン・ナーイフが内務大臣と政治・安全保障評議会議長兼務のまま王位継承順第1位の王太子兼第一副首相に昇格、ムハンマドは国防大臣と経済開発評議会議長兼務のまま王位継承順第2位となる副王太子兼第二副首相に昇格となった。弱冠30歳に過ぎないムハンマドが王位継承順第2位となる副王太子兼第二副首相に就任したことは異例であり、公益財団法人中東調査会によると、サルマーンのこの人事は、前国王アブドゥッラー派だった王太子ムクリンを権力の核心から遠ざけてサルマーン自身の周辺を近親のスデイリー・セブン閥で固めるため、また息子のムハンマドを将来の王に据えるためのものであり、ムクリンの退任は表向きは自身の希望による辞任であるが実際はサルマーンによる解任であるとされた[2]

ムハンマドは、健康に問題を抱えるサルマーンの代理として、従来のアメリカパキスタン中華人民共和国[14]に加えてロシアフランスにも接近するサウジの外交政策を委ねられているとされ、2015年6月にロシアで開催された「サンクトペテルブルク国際経済フォーラム2015」にアリ・ヌアイミ石油鉱物資源大臣やジュベイル外務大臣らを伴って訪問し、エネルギー宇宙開発原子力投資分野における6件の合意書に署名した。


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