ムハンマド・アリー・モスク
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Muhammad Ali Mosque
東(南東)側の正面
基本情報
所在地 エジプト、カイロ、シタデル
石灰岩、アラバスター、白大理石
ユネスコ世界遺産
所属カイロ歴史地区(英: Historic Cairo)[2]
登録区分文化遺産: (1), (5), (6)
参照 ⇒89
登録1979年(第3回委員会)
面積523.66ヘクタール (5.2 km2)
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ムハンマド・アリー・モスク(アラビア語: ???? ???? ???〈Masdschid Muhamad ?Al?〉、英語: Muhammad Ali Mosque〈Mosque of Muhammad Ali〉[3])は、エジプトの首都カイロのシタデル(英語版)(英: Cairo Citadel)に、およそ1830年から[4]1848年にかけてムハンマド・アリー・パシャ(在位1805-1848年[5][6])の指示のもとに建設されたモスクである。内壁面などにアラバスター(雪花石膏)が使用されていることから「アラバスター・モスク」とも称される[7][8]。
シタデル(城塞)の西(南[4])の一角にあるこのモスクは[9]、19世紀に建てられたトルコ(オスマン建築[10])様式のモスクであり[11]、エジプトで最も高い2基のミナレット(尖塔)を備える[8]。カイロのランドマークであるシタデル(サラディンの城塞、アラビア語: ???? ???? ?????〈Qala?at Sal?? ad-D?n〉、英語: Citadel of Saladin)に位置するムハンマド・アリー・モスクは[12][13]、歴史的都市カイロの主要な観光名所の1つである[14]。
歴史シタデル(英語版)にあるムハンマド・アリー・モスク (Mosque of Muhammad Ali) の位置(標記: 英語)
ムハンマド・アリー・モスクは、12世紀にアイユーブ朝(1171-1250年[15])を興したサラーフッディーン(サラディン、在位1171[16]/1172-1193年)にさかのぼるカイロのシタデル上にあり[17]、マムルーク朝(1250-1517年[15])からのハレムなどの構造物の廃墟があった南側の場所に建設された[4]。工事は1828年末頃より始められたが[18][19]、正式な建設事業の着工は1830年とされる[20]。
モスクは、1848年、ムハンマド・アリーがエジプト(オスマン帝国領エジプト)の総督(パシャ[21])を退き、短命のイブラーヒーム・パシャ(在位1848年)[22]に次いで即位したアッバース・パシャ(アッバース・ヒルミー1世、在位1848-1854年[11])により完成したとされる[20]。アッバース・パシャが1848年のうちに即位すると、モスクの装飾作業の完了を命じるとともに、予定されたムハンマド・アリーの霊廟に大理石造りの構造物と銅のマクスーラ(英語版)を追加している[23]。ムハンマド・アリーの墓
モスクはほぼ完成したものの、1849年にムハンマド・アリーが亡くなった後も作業は継続され[18]、サイード・パシャ(ムハンマド・サイード、在位1854-1863年[24])の治世となる1857年になって完了した[25]。