ムシェズィプ・マルドゥク
バビロニア王
在位紀元前692年 - 紀元前689年
死去紀元前689年
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ムシェズィプ・マルドゥク(Mushezib Marduk、在位:紀元前692年 - 紀元前689年)は、アッシリアに反乱を起こして戦死したネルガル・ウシェズィプ
(英語版)の後を継いでバビロニア王についた人物。一時アッシリア軍を撃退したが、センナケリブによって倒された。カルデア人の王子であったという。ネルガル・ウシェズィプがアッシリアに敗れて倒れると、跡を継いで紀元前692年にバビロニア王となった。エラム王フンバン・ニメナ
(ロシア語版)の支援を受け、周辺諸国も味方につけた彼は紀元前691年にハルールの戦い(英語版)(英語: Battle of Khalule)[1]でセンナケリブ率いるアッシリア軍を退け、一時的にバビロニアからアッシリア勢力を一掃することに成功した。しかし、紀元前689年には再度センナケリブの攻撃を受け、バビロンは包囲された。9か月にも及ぶ包囲戦の末バビロンは陥落し、センナケリブの手によってマルドゥク神像が奪われバビロン市の大部分が破壊された。恐らく彼もこの時殺害されたと考えられる。
脚注^ Taylor inscription
先代
ネルガル・ウシェズィプ(英語版)バビロニア王
107代
紀元前692年 - 紀元前689年次代
センナケリブ
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