ムエタイ
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ムエタイMuay Thai
プロのムエタイ
別名Thai boxing, Siamese boxing
発生国 タイ
派生種目キックボクシング
主要技術打撃技、クリンチ
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ムエタイ(タイ語: ??????、英語: Muay Thai, Thai boxing)は、格闘技の一種で、発祥地・タイでは国技に指定されている。ムエタイの選手はナックモエという。両手、両肘、両脚、両膝の八箇所を用いて相手と戦う。
名称

タイ語での発音的には「ムアイタイ」の方が近いが、日本では英語での発音に近い「ムエタイ」「ムエイタイ」の発音・表記で定着している。

直訳するとムアイはクメール語で1を起源とし、1対1の格闘のことであるため(たとえばプラーン(レスリング)のことをムアイプーランという)「タイ式の戦い」となる。元々は戦争の絶えない時代に他国の侵攻に対抗するための古式ムエタイだった。

ヨーロッパに知られタイボクシング(Thai boxing、タイ式ボクシングの意)と呼ばれることが多い。一方でタイでは一般的なボクシングを「国際式」と呼ぶ(後述)。

日本ではタイ式キックボクシング、タイ式ボクシングとも呼ばれることがあるが、キックボクシングは空手、ムエタイ、ボクシング等を元に日本で作られたものであり、順序として逆である。詳細はリンク先を参照。

1960年代、当時東日本ボクシング協会理事でJBC日本ボクシングコミッションからクラブオーナー及びプロモーター両ライセンス発給を受けた野口修はムエタイの魅力に着目し、ボクシング界を去った後に新競技「キックボクシング」を創設し、剛柔流空手の猛者白羽秀樹をスカウトし「沢村忠」のリングネームを命名し、日本に一躍ブームをもたらした。しかしキックボクシングの名称はタイ国民・バンコク市民の反感を買い、バンコクのジムに銃弾が打ち込まれたという。以来、多くの団体が乱立する日本のキック業界関係者はタイを宗主国として敬意を払っている。
タイにおけるムエタイタイの地元の小学生がムエタイを披露

タイの地方では一般的なスポーツで、子供が習う光景もかなり見受けられる[要出典]。また祭りなどの際に、人集めの催し物として行われることが多い。年齢、体格が似たもの同士が相手として選ばれる傾向がある。

国技である上、試合は賭けの対象でもあるため八百長に対しては非常に厳しい。八百長試合が発覚すれば、当事者はタイ国内法により罰せられる。実際に八百長を疑われる試合では観客からのブーイングにより試合が成立しないこともある。村の試合では、ときに日本の相撲の花相撲的に演出が加えられた試合が行われることもある。

ムエタイのタイ国内での社会的ステータスは必ずしも高くない。これは競技が賭博の対象とされており、貧困層のスポーツと見なされているためである。タイでは、子供たちはしばしばムエタイの練習を始め、5歳からリングで試合を行う

実際にバンコクの二大殿堂では、スポーツとしてではなく賭けの対象として観戦している観衆が大半を占める。そのため富裕層は、日本の親が礼儀を学ばせるために子弟に武道を学ばせるようには、ムエタイを学ぶことは滅多にない。しかし富裕層が海外留学した際、タイ出身と自己紹介するとたいていムエタイ経験を問われ、タイの文化として海外では高く評価されている事実に驚き、帰国した際にムエタイを学ぶ学生も多い。男性中心の競技で女性のプロ選手はまれだが、地方の人集めの試合なら女子児童・生徒の参加も比較的認められる。村対抗、学校対抗の試合は頻繁に行われ、賭けが少ないため、八百長が比較的少ない。さらに、国境の町などでも他国との親善試合がよく行われる。
ムエタイの文化ワイクルーを踊る選手。試合前の祈り

ナックモエは試合開始前にワイクルーと呼ばれる行為をする。より正確にはワイクルー・ラムムアイであり、ワイクルーは自分の師と両親に感謝を捧げ、神に勝利を願う意味があり、ラムムアイは戦いの前の舞のことで闘争心を高める効果があるとされる。また野外で戦っていた頃に、踊りながら地面のコンディションを確かめた。縦笛や太鼓、鉦の演奏の民族音楽の演奏で踊る。この演奏は試合中もずっと続き、会場を独特の雰囲気に包む。
ムエタイの魅力

@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}ムエタイはよく「立ち技世界最強」と称される格闘技である[要出典]。しかし、ボクシングのような打ち合いはあまり期待できない。ムエタイの試合は5ラウンドあるが1、2ラウンドは様子見に終始する。これは賭ける客がその様子を見て選手の調子を判断しどちらに賭けるか決めるという意味合いもある。そしてそれ以降のラウンドは延々と首相撲の攻防が繰り返される試合がほとんどであるから、派手な殴り合いを期待をして観戦すると、首相撲が頻繁に行われる馴れ合いの試合に見えることがある。

しかし首相撲の攻防には高度な技術的駆け引きが行われており、レベルが高くなればなるほど、まずまともに攻撃を食らうことはない。その上タイ人は基本的に小柄であるため、ボクシングの重量級などで見られるような試合でのKOはほとんどなく、判定にもつれこむ(KOが頻発すると八百長が疑われてしまう)。判定試合がほとんどであるにもかかわらず、会場に熱気があるのは、興行が賭けによって成り立ち、またクリンチと見間違えてしまう首相撲が、実は高い技術のぶつかり合いだからである。
歴史
古代詳細は「古式ムエタイ」を参照「Bang Kung」訓練キャンプ。もともとはビルマ軍と戦うために南部州から召集された軍隊を訓練する目的で設置された

インドの格闘技のカラリパヤットが伝わって形成されたことから、伝説では『ラーマーヤナ』のラーマ王子を始祖としている。雲南から南下してきたタイ族は、13世紀頃までは強力なアンコール王朝の支配力の元にあった。 しかしながら、古式ムエタイがいつ興ったものかははっきりしていない。一説ではタイの関わった戦争や白兵戦の中で各民族の戦闘術と関わりながら徐々に発展していった素手素足の格闘の技術が古式ムエタイの原型になっているようである。

シャムがミャンマーの属領とされていた1584年頃、アユタヤー王朝ナレースワン大王ミャンマータウングー王朝との戦争に勝って独立を回復した。この独立戦争時に古式ムエタイが大きな役割を果たしたと『チュー・バサート』(戦勝論)は記している。これが事実なら、少なくとも400年以上の歴史があることになる。
ナーイ・カノム・トムの伝説ナーイ・カノム・トムの像

1766年(一部の本[要出典]では1767年ともいわれる)、ミャンマーコンバウン王朝シンビューシン王(ウングワ王)がアユタヤー王朝の首都アユタヤを陥落させた。この時、伝説的な(伝説上の)古式ムエタイの戦士ナーイ・カノム・トム ????????? は、ミャンマー軍との戦いで囚人となり、ウングワ王の格闘技を見せる奴隷となるも過酷な格闘に生き延び、ミャンマー拳法家12人を打ち負かして自由の身になってシャムへ帰ったという。
近代ムエタイの完成ラーマ5の治世中の古式ムエタイ

タイを近代化させた名君として名高いラーマ5世は、ムエタイの価値を認めて振興に力を入れ、積極的にトーナメントを開催させた。また、体育教師の訓練学校や、軍の士官学校のカリキュラムにムエタイが取り入れられた[1]。そして、ラーマ6世治世下の1921年には、タイで最初の常設スタジアムが完成した[1]


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