ムアンマル・アル=カッザーフィー
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アフリカ連合のサミット出席時のカッザーフィー(2009年2月)
大リビア・アラブ社会主義人民
ジャマーヒリーヤ国
革命指導者
任期1977年3月2日 – 2011年8月23日
大リビア・アラブ社会主義人民
ジャマーヒリーヤ国
初代 全国人民会議書記長
任期1977年3月2日 – 1979年3月2日
リビア・アラブ共和国
革命指導評議会議長
称号:大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国の最高指導者及び革命指導者
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敬称閣下
ムアンマル・アル=カッザーフィー(アラビア語: ???? ??? ????? ???????, mu?ammar ?ab? miny?r al-qa???f?, 1942年6月7日[1] - 2011年10月20日)は、リビアの軍人・革命家・政治家で、大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国(社会主義人民リビア・アラブ国)の元首。日本では一般にカダフィ大佐という呼称で知られている。
1969年のリビア革命(英語版)によって政権を獲得後、2011年に至るまで長期にわたり独裁政権を維持したが、2011年リビア内戦によって政権は崩壊、自身も反カッザーフィー派部隊によって殺害された[2]。
1993年から2009年まで1リビア・ディナール紙幣や50ディナール紙幣に肖像が使用されていた。 称号は「大リビア・アラブ社会主義人民ジャマーヒリーヤ国の最高指導者及び革命指導者」(???? ????? ?????? ?? ?????, za??m wa-q??id al-?awrah f? l?biy?, ザイーム・ワ=カーイド・ッ=サウラ・フィー・リービヤー)、「敬愛なる指導者」(???? ??????, al-a? al-q??id, アル=アフ・ル=カーイド)[3]。 カッザーフィーの名称は世界各国で実に多様な綴りで表される[4]。アラビア語リビア方言での一般的な発音に従うならばガッダーフィ(Gaddafi)であり、アルジャジーラなどではこの表記を採用している。カッザーフィー自身は、1986年にアメリカの学校に宛てた書簡では El-Gadhafi と署名している。しかし彼の公式ウェブサイトの各言語版では、El Gathafi 、Al Gathafi など複数の表記が見られた[5]。国際連合安全保障理事会では、「カダフィ、ムアンマル・ムハンマド・アブミンヤール(Qadhafi, Muammar Mohammed Abu Minyar)」の名で本人特定をしている[6]。 日本では「カダフィ大佐」という呼び名が一般的である。特に新聞などのメディア報道では「カダフィ大佐」という呼称がされている。明仁天皇とカッザーフィーが慶事等で祝電、答電
名称表記
日本の新聞報道では、1969年から1977年までは「カダフィ革命評議会議長」、1977年から1979年までは「カダフィ全国人民会議書記長」、1979年に一切の公職を退いてからは「カダフィ元首」「カダフィ国家元首」「リビアの国家元首カダフィ前書記長」などと表記されていた。しかしカッザーフィー政権のリビアは、公式には「直接民主制」(ジャマーヒリーヤ)を標榜しているために、政府や国家元首は存在しないことになっていた。このためか、1985年あたりからは「リビアの最高指導者カダフィ大佐」と表記されるようになった。
読売新聞は2011年リビア内戦以降、彼本人が「もう軍人でも大佐でもない」と言っているとして、それまで使用してきた「リビアの最高指導者カダフィ大佐」の表記をやめ、「リビアの最高指導者カダフィ氏」と表記している(2011年2月19日東京本社版朝刊国際面より)。 カッザーフィーが「大佐」(??????, al-?aq?d, アル=アキード。英訳: colonel
「大佐」の語義の諸説
なお、カッザーフィー政権での事実上の国家元首が軍の中堅幹部階級である「大佐」であることに違和感を覚える向きも多い[7] が、当該政府は建前上「国家元首」の概念そのものを否定しているのであり、リビアの国家元首をあらわす称号が「大佐」だというわけではない。当然ながら、リビア軍には大佐より上の階級(将官)も存在し、軍の司令官であり、士官学校時代以来のカッザーフィーの友人であるアブー=バクル・ユーニス・ジャーベル(英語版)は准将(????, ?am?d, アミード)であった。
「大佐」はニックネームであるという説
エジプトのナーセルの地位が大佐であったため、自らもニックネームとして大佐を名乗ったのが定着した。