ミールサイト・スルタンガリエフ(タタール語: Мирс?ет Х?йд?ргали улы Солтангалиев、Mirsayet Xaydar?ali ul? Soltan?aliev、露: Мирсаи?д Хайдаргали?евич Султа?н-Гали?ев、Mirsaid Sultan-Galiev、1892年7月13日 - 1940年1月28日[1])は、ロシア革命期のタタール人民族主義者、革命運動家。 現在のバシコルトスタン共和国のウファ県ステルリタマク郡にて生まれた。
人物・生涯
スルタンガリエフは、ソ連のタタール人社会を、資本主義の前段階にあるものとして位置づけ、すでに資本主義化したロシア人社会とは異なるアプローチで社会主義システムを建設する必要があると主張した。また、西洋の帝国主義から植民地を解放する上で、民族主義や宗教の役割を高く評価した。
スルタンガリエフは、著作『ムスリムに対する反宗教宣伝の方法』において、党内で一般的であったイスラームを反動的宗教とする考えを否定し、人間と社会の間のバランスを取る存在としてイスラームを評価している。また、帝国主義諸国に植民地化されたイスラーム世界において、イスラームは反帝国主義の思想になり得ると主張した。
こうした思想を背景として、スルタンガリエフは、ソ連領内のテュルク系諸民族による統一した自治政府の必要性を主張し、ヴォルガ川中流域の「タタール共和国」・「バシキール共和国」、トルキスタンの「トルキスタン共和国」の設立活動を行った。エンヴェル・パシャの裏切り(バスマチ蜂起)によって汎テュルク主義が奨励されなくなり、その同年1923年に反ソ運動を行ったということで逮捕され失脚。1940年にルビャンカ監獄で処刑された[3]。
ペレストロイカ期の歴史の見直しの過程で、1990年にソ連邦最高裁の決定により名誉回復がなされた。
脚注
注釈^ タタール語: Татар укытучылар м?кт?бе、露: Татарская учительская школа、英: Tatar Teachers School
^ 露: Наркомнац、英: Narkomnats
^ 露: Жизнь Национальностей、英: The Life of nationalities
出典^ 山内昌之 2009の巻末の年譜(瀧知也作成)
^ 山内昌之 2009, p. 112-114および、同書巻末p. 8の年譜(瀧知也作成)
^ 山内昌之,1986=2009
参考文献
山内昌之『スルタンガリエフの夢―イスラム世界とロシア革命』東京大学出版会〈新しい世界史:2〉、1986年。