ミンデン_(ノルトライン=ヴェストファーレン)
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この項目では、ドイツ、ノルトライン=ヴェストファーレン州北部の都市について説明しています。その他の用法については「ミンデン」をご覧ください。

紋章地図
(郡の位置)

基本情報
連邦州:ノルトライン=ヴェストファーレン州
行政管区:デトモルト行政管区
郡:ミンデン=リュベッケ郡
緯度経度:.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯52度17分 東経08度55分 / 北緯52.283度 東経8.917度 / 52.283; 8.917座標: 北緯52度17分 東経08度55分 / 北緯52.283度 東経8.917度 / 52.283; 8.917
標高:海抜 42 m
面積:101.12 km2
人口:

81,857人(2021年12月31日現在)[1]
人口密度:810 人/km2
郵便番号:32423, 32425, 32427, 32429
市外局番:0571, 05734, 05704
ナンバープレート:MI
自治体コード:

05 7 70 024
行政庁舎の住所:Kleiner Domhof 17
32423 Minden
ウェブサイト:www.minden.de
首長:ミヒャエル・イェッケ (Michael Jacke)
郡内の位置

地図

ミンデン(ドイツ語: Minden,  [?m?nd?n][ヘルプ/ファイル][2]低地ドイツ語: Minn'n)は、ドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州デトモルト行政管区ミンデン=リュベッケ郡の郡庁所在都市である。この街は、ミンデナー・ラント地方の歴史的な政治の中心地である。また、ミッテルラント運河ヴェーザー川とが交差する水運路ジャンクション (Wasserstrasenkreuz) のある街としても知られている。この1200年以上の歴史を持つ旧司教座都市にはヴェーザールネサンス様式の数多くの建築とともに、重要な象徴的建造物である聖堂が保存されている。
地理
位置

ミンデンは、ノルトライン=ヴェストファーレン州北部の、ヴェーザー川がヴェーザー山地とヴィーエン山地を突破して流れ出る出口の北側に位置する。ヴェーザー川はここでヴェーザー山地から離れ、北ドイツ低地に向かって流れて行く。オーバーシュタットとウンターシュタットを結ぶ坂道

この都市は、南に中低山地を望むヴェーザー川両岸の平地にあるが、ヴィッツェン市区やハッデンハウゼン市区はヴィーエン山地の稜線までを含んでいる。中核市区は、ヴェーザー川西岸の段丘に位置している。この段丘は市街地を貫いて、これをオーバーシュタット(上の街)とウンターシュタット(下の街)に分けているばかりでなく、自然環境の境界にもなっている。市の構成は、プロイセンのミンデン城砦によって規定されており、取り壊された防衛施設の跡は市を取り囲む緑地帯(グラシー(Glacis、防塁の斜堤を意味する)と呼ばれる)にその名残を留めている。

ミンデンはビーレフェルトの北東40 km、ハノーファーの西55 km、オスナブリュックの東60 kmに位置し、ミンデナー・ラント地方歴史的・政治的中心地となっている。

市内をミッテルラント運河が東から西に横断し、ヴェーザー川が南から北に流れる。両者は、市の北側にある水運路ジャンクション (Wasserstrasenkreuz Minden) で交差する。ミンデン市内でバスタウ川が西からヴェーザー川に注ぐ。

市内の最低地点はレーテルン市区にあり海抜40.3 m、最高地点はハッデンハウゼン市区にある海抜180.6 mである[3]
市域の広がり

市域面積は 101.08 km2で、南北軸は最大 13.1 km、東西軸は最大 14.1 kmである。
隣接する市町村

ミンデン市は東のマイセン市区、ペピングハウゼン市区がニーダーザクセン州ビュッケブルクとの州境を形成する。この他は、北はペータースハーゲン、西はヒレ、南はバート・エーンハウゼンおよびポルタ・ヴェストファーリカと境を接する。
市の構成

市域は以下の19の市区からなる。[4]

ベーレンケンペン (Barenkampen)

ベルホルスト (Bolhorst)

ダンケルゼン (Dankersen)

デュッツェン (Dutzen)

ハッデンハウゼン (Haddenhauzen)

ヘーファーシュテット (Haverstadt)

ハーレン (Hahlen)

インネンシュタット (Innenstadt)

ケーニヒストーア (Konigstor)

クーテンハウゼン (Kutenhausen)

レーテルン=アーミングハウゼン (Leteln-Aminghausen)

マイセン (Meisen)

ミンダーハイデ (Minderheide)

ノルトシュタット (Nordstadt)

ペピングハウゼン (Papinghausen)

レヒテス・ヴェーザーウーファー (Rechtes Weserufer)

ローデンベック (Rodenbeck)

シュテンマー (Stemmer)

トッテンハウゼン (Todtenhausen)


気候

ミンデンはオストヴェストファーレン全域がそうであるように、おおむね海洋性気候で、ときおり大陸性気候の性質が混ざる移行地域にあたる。ここでは気温や降水量は年間を通じて大きな変動は比較的少ない。夏は大陸性気候の土地に比べてやや涼しく、冬はやや暖かい。これにはヴィーエン山地の北側で風の当たらない側であることも影響している。トイトブルクの森とヴィーエン山地が、大西洋から雨を運んでくる南西の風からこの街を護っている。このためミンデンは、他のオストヴェストファーレン地方の街と比べて降水量が少ない。その値はノルトライン=ヴェストファーレン州の平均とほぼ同値である。市の北部における年間降水量は 600 - 650 mm、南部ではそれよりもやや多い 650 - 700 mm である。気温は北ドイツ低地とヴェーザー渓谷の比較的低い高度によって決定づけられている。年間平均気温は 9 - 9.5℃で、ヴェストファーレン盆地の平均値を同じである[5]。ミンデン=ハーレン市区の降水量を表で示す。

ミンデン=ハーレン(海抜 46m)の気候ダイアグラム

1月2月3月4月5月6月7月8月9月10月11月12月
降水量 (mm)57.142.652.951.561.280.263.868.158.546.355.863.5計701.5
出典: ドイツ気象庁[6]

歴史
先史時代から中世ミンデン司教座聖堂教会

現在の市域にあたる様々な場所からの定住を示す出土品は、ミンデンが3世紀にはすでに入植地であったことを示唆している。ミンデン地域では1世紀から4世紀まで、絶えず入植地開発がなされていた。ここは当時、ライン=ヴェーザー・ゲルマン人グループの入植地であった。

ミンデンは798年フランク王国の年代記『帝国年代記』に、カール大帝が "Minda" で帝国集会を開催したとして初めて記録されている。カール大帝は800年頃ミンデンに司教区を設けた。この町は977年に都市権、貨幣鋳造権、関税権を得た。13世紀の初めまでは司教が任命する都市貴族が市の代表者であり、行政指導者を務めた。1230年頃にミンデン城が建設され、市議会は教会領主である司教から独立した存在となり、都市権が改めて授けられた。この権利が行使されて、教会から独立した貿易が開始された。その収益は、この都市を一層発展させる基盤となった。中世には、ミンデンはハンザ同盟に加盟した。ミンデン市民の独立意識の高まりは、旧市庁舎の建設に現れている。この庁舎はおそらく1260年頃に、司教座教会の管轄区との境界に面して建てられたのである。こうした市民の圧力を受けて、1306年または1307年に当時のミンデン司教ゴットフリート・フォン・ヴァルデックは居館をミンデンからペータースハーゲン城に移した。
中世末期から近世1642年頃のミンデンを描いたマテウス・メーリアンの銅版画


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