ミンダナオ島
[Wikipedia|▼Menu]
.mw-parser-output .hatnote{margin:0.5em 0;padding:3px 2em;background-color:transparent;border-bottom:1px solid #a2a9b1;font-size:90%}

「ミンダナオ」はこの項目へ転送されています。その他のミンダナオについては「ミンダナオ (曖昧さ回避)」をご覧ください。
.mw-parser-output .ambox{border:1px solid #a2a9b1;border-left:10px solid #36c;background-color:#fbfbfb;box-sizing:border-box}.mw-parser-output .ambox+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+link+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+style+.ambox,.mw-parser-output .ambox+.mw-empty-elt+link+link+.ambox{margin-top:-1px}html body.mediawiki .mw-parser-output .ambox.mbox-small-left{margin:4px 1em 4px 0;overflow:hidden;width:238px;border-collapse:collapse;font-size:88%;line-height:1.25em}.mw-parser-output .ambox-speedy{border-left:10px solid #b32424;background-color:#fee7e6}.mw-parser-output .ambox-delete{border-left:10px solid #b32424}.mw-parser-output .ambox-content{border-left:10px solid #f28500}.mw-parser-output .ambox-style{border-left:10px solid #fc3}.mw-parser-output .ambox-move{border-left:10px solid #9932cc}.mw-parser-output .ambox-protection{border-left:10px solid #a2a9b1}.mw-parser-output .ambox .mbox-text{border:none;padding:0.25em 0.5em;width:100%;font-size:90%}.mw-parser-output .ambox .mbox-image{border:none;padding:2px 0 2px 0.5em;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-imageright{border:none;padding:2px 0.5em 2px 0;text-align:center}.mw-parser-output .ambox .mbox-empty-cell{border:none;padding:0;width:1px}.mw-parser-output .ambox .mbox-image-div{width:52px}html.client-js body.skin-minerva .mw-parser-output .mbox-text-span{margin-left:23px!important}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .ambox{margin:0 10%}}

この記事には独自研究が含まれているおそれがあります。問題箇所を検証出典を追加して、記事の改善にご協力ください。議論はノートを参照してください。(2024年2月)

この記事は検証可能参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方
出典検索?: "ミンダナオ島" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2024年2月)

ミンダナオ島
フィリピンの地形図、右下がミンダナオ島
所在地フィリピン
所在海域フィリピン海スールー海
セレベス海
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯7度30分0秒 東経125度0分0秒 / 北緯7.50000度 東経125.00000度 / 7.50000; 125.00000座標: 北緯7度30分0秒 東経125度0分0秒 / 北緯7.50000度 東経125.00000度 / 7.50000; 125.00000
面積97,530 km²
最高標高アポ山 2,954 m
人口2,553万人 (2018年)
最大都市ダバオ
OpenStreetMap
プロジェクト 地形
テンプレートを表示

ミンダナオ島(ミンダナオとう、: Mindanao)は、フィリピンルソン島に次いで2番目に大きい
地理・気候

フィリピン諸島は、ルソン島周辺の群島・ヴィサヤ諸島・ミンダナオ島周辺の群島という3つの大きな群島で構成されているが、国土の南3分の1の部分にあたるのがミンダナオ周辺の群島である。ミンダナオ群島はミンダナオ島とその南西のスールー諸島などから構成されている。熱帯の気候であるが、北西太平洋に発生した台風はルソン島やヴィサヤ諸島へ向かうためミンダナオ島にはまれにしか上陸しない。このためフィリピンの他の地域に比べ台風の被害は比較的少なく、農業などに有利となっている。

フィリピン諸島の南端に位置し、面積はおよそ94,630 km2である。島は南北に約470 km、東西に約520 kmで、西部にはサンボアンガ半島が突出し、南西部のスールー海にはスールー諸島が散在し、ボルネオ島へ続いている。東は太平洋フィリピン海)、南はセレベス海である。またカミギン島ディナガット島シアルガオ島バシラン島、サマール島(英語版)、サランガニ諸島といった島々が周囲に散在している。

東海岸(北部にディウアタ山地・南部にコルディレラ山脈)、西海岸(北部にブキドノンラナオ高原・南部にティルレイ高地)および中北部には2,000m級の山脈があり、フィリピン最高峰の火山であるアポ山 (2,954 m) が中央ミンダナオ高地にそびえる。島南西部にはコタバト盆地がある。

島内最長の川はアグサン川で全長約390キロメートル。島東部に流れるヒナトゥアン川は透明度が高く「魔法の河」と呼ばれている。島内最大の湖はラナオ湖で国内でも2番目の大きさに当たる。
産業

主要な産業は農業林業漁業であり、特に商品作物のプランテーションが名高い。カガヤン・デ・オロにはデルモンテ社の巨大パイナップル農場が、ダバオ市近郊にもドール社による一面のバナナ農場が広がり、ともに加工工場も持ち日本などへ出荷されている。これには、農民が大農園の農場労働者になって身分が不安定になるという問題もある。ビーチリゾートとしての可能性はあり、北部カミギン島などのようにビーチリゾートやダイビングといった観光業で収入を得る地方もあるが、フィリピンでも最も貧しい地方のひとつであるミンダナオ島西部やスールー諸島では、政情不安やテロ集団による観光客誘拐もあり、観光業の発達の障害になっている。
歴史
イスラム教の受容

ミンダナオ島は中国東南アジアの交易中継点となっていたが、南方から来るマレー系人の間にイスラム教が広まりだしたのを機に、1380年ミンダナオ島にもイスラム教が伝わり、後にフィリピン諸島各地に広がった。特に1457年にスールー諸島に成立したイスラム教国・スールー王国は最盛期にはミンダナオ島・パラワン島ボルネオ島北部(サバ州)を統治した。フィリピン諸島におけるほとんどの領土をスペインに奪われたものの、ボルネオ北部をイギリスに獲得される19世紀末まで存続していた。
スペイン植民地化

ミンダナオ島が西洋人と接触したのは、1521年フェルディナンド・マゼランが率いていたスペイン艦隊が寄航した時である(マゼランは同年、セブ島近くのマクタン島で戦死している)。その後16世紀半ばから17世紀にかけて相次いでスペイン人航海者や兵士、宣教師が来航し、ミゲル・ロペス・デ・レガスピ1565年にセブ島を征服した直後にはミンダナオ島北部もスペインの植民地支配下に入ったが、ミンダナオ島南部はイスラム教勢力が強くスペインの力が及ばなかった。16世紀から現在のコタバト州周辺に築かれたマギンダナオ王国 (Sultanate of Maguindanao) は17世紀スルタンのクダラット(Qudarat、ムハンマド・ディパトゥアン・クドラトゥッラー・ナシルッディーン Muhammad Dipatuan Qudratullah Nasiruddin)の治世にはミンダナオ島全土と周辺の島々も征服し、スペイン人植民者も手を出せない存在となった。

マギンダナオ王国やスールー王国は徐々に衰え19世紀には滅亡し、ミンダナオ南部もスペインのフィリピン植民政府によりゆっくりと征服されていった。たとえばダバオ付近がスペインに征服されたのは19世紀も半ばのことである。スペイン人の下、アニミズムを信じる住民のキリスト教への改宗が進んだが、イスラム教の定着が古くスペイン人による征服が進まなかった南部ではイスラム教が勢力を保ち続け、現在に至っている。

さまざまなムスリム勢力が、スペインアメリカ合衆国フィリピン政府などに対して数世紀にわたる苦難に満ちた独立闘争を行ってきたが、キリスト教徒が多数を占める国から独立するという彼らの願いは戦力差のため失敗し続けてきた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:40 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef