ミロシュ・フォアマン
[Wikipedia|▼Menu]

ミロス・フォアマン
Milo? Forman
ミロス・フォアマン
本名Jan Toma? Forman
生年月日 (1932-02-18) 1932年2月18日
没年月日 (2018-04-13) 2018年4月13日(86歳没)
出生地 チェコスロバキア チャースラフ
死没地 アメリカ合衆国 コネチカット州
国籍 チェコスロバキア
アメリカ合衆国
職業映画監督映画プロデューサー脚本家俳優
ジャンル映画
活動期間1953年 - 2011年
活動内容1975年:『カッコーの巣の上で』でアカデミー監督賞受賞
1984年:『アマデウス』で2度目のアカデミー監督賞受賞
配偶者ヤナ・ブレイホヴァ(1958年 - 1962年)
V?ra K?esadlova(1964年 - 1999年)
マルティナ・フォアマン(1999年 - 2018)
主な作品
ブロンドの恋
カッコーの巣の上で
ラグタイム
アマデウス
ラリー・フリント
マン・オン・ザ・ムーン

 受賞
アカデミー賞
監督賞
1975年カッコーの巣の上で
1984年アマデウス
カンヌ国際映画祭
審査員特別グランプリ
1971年パパ/ずれてるゥ!
ベルリン国際映画祭
金熊賞
1997年ラリー・フリント
銀熊賞(監督賞)
2000年マン・オン・ザ・ムーン
東京国際映画祭
黒澤明賞
2006年 ヒューマニズムに富み、娯楽性のある作品を多数製作したことに対して
ヨーロッパ映画賞
世界的貢献賞
1997年『ラリー・フリント』
ロサンゼルス映画批評家協会賞
監督賞
1984年『アマデウス』
英国アカデミー賞
監督賞
1976年『カッコーの巣の上で』
ゴールデングローブ賞
監督賞
1975年『カッコーの巣の上で』
1984年『アマデウス』
1996年『ラリー・フリント』
セザール賞
外国映画賞
1984年『アマデウス』
日本アカデミー賞
最優秀外国語作品賞
1985年『アマデウス』
その他の賞

テンプレートを表示

ミロス・フォアマン(Milo? Forman [?m?lo? ?forman]、本名:Jan Toma? Forman、1932年2月18日 - 2018年4月13日[1])は、チェコスロヴァキア出身のアメリカ合衆国映画監督。ミロシュ・フォアマンとも。チェコ・ヌーヴェルヴァーグの一員として活動した後アメリカに拠点を移し、アカデミー監督賞を2回受賞している[2]
経歴・人物

チャースラフ生まれ。第二次大戦中はプロテスタントの両親に育てられたが[3]、実の父がユダヤ人の建築家オットー・コーンであった事を後に知る[4]。養父ルドルフ・フォルマンは大学教授だが反ナチ思想の持ち主としてゲシュタポから尋問を受けた後、禁書を学生に配った罪で逮捕され、ブーヘンヴァルトで死亡。母もアウシュヴィッツで亡くなった[3]。このため、親戚や友人の家を転々として育つ。

1951年プラハの国立映画学校で学び、1960年代からはチェコ・ヌーヴェルヴァーグの一員として活動。『ブロンドの恋』(1966年)と『火事だよ!カワイ子ちゃん』(1968年)が自身の監督作品として連続でアカデミー外国語映画賞にノミネートされ、東欧世界を代表する映画監督として認知されるようになる。

しかし、60年代後半に起きたチェコ事件を機にアメリカに移住し、1970代以降はアメリカでの映画製作に専念するようになる。まず、英語圏での第1作目となった『パパ/ずれてるゥ!』(1971年)は批評家からは酷評されるも、カンヌ国際映画祭審査員特別グランプリを受賞。その直後には、舞台化もされていた小説『カッコーの巣の上で』の映画化に際して監督として雇われる。1975年に公開された本作は、批評的・興行的成功を獲得。更には史上2本目となるアカデミー賞主要5部門受賞作品となり(自身も監督賞を受賞)、現代においてもアメリカン・ニューシネマの傑作としてカルト的影響を与えることとなった。同年にはアメリカの市民権を取得し[5]。その2年後にはコロンビア大学の映画学科教授に就任した。

その後も『ヘアー』(1979年)『ラグタイム』(1981年)といった超大作を次々と監督していき、ハリウッドでの地位を固めていく。1984年の『アマデウス』では、2度目となるアカデミー監督賞を受賞[2]し、作品自体も再び作品賞に輝いた。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:91 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef