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ミルトン・ナシメント
基本情報
生誕1942年10月26日
出身地 ブラジル リオデジャネイロ州リオデジャネイロ市
ジャンルMPB、ジャズ
職業シンガーソングライター、ギタリスト
担当楽器ギター
活動期間1963年-
レーベルA&Mレコード
EMI
ポリドール・レコード
コロムビア・レコード
ワーナー・ブラザース・レコード
公式サイト ⇒www2.uol.com.br/miltonnascimento
ミルトン・ナシメント(Milton Nascimento、1942年10月26日 - ) は、「ブラジルの声」の異名を持つMPBの代表的ソングライター。 リオデジャネイロ市で生まれ、幼い頃ミナスジェライス州トレス・ポンタスに移る。1963年より本格的に音楽活動を開始。1966年、ミルトンが作曲した「Cancao do Sal(塩の歌)」が、エリス・レジーナの歌で大ヒットする[1]。1967年、インディーズのCodilからファースト・アルバム『TRAVESSIA(トラヴェシーア)』発表。同作は長い間廃盤だったが、2003年にCD化された[2]。 その後クリード・テイラーに認められ、1969年、A&Mレコードからメジャー・デビュー・アルバム『COURAGE(コーリッジ)』発表。1972年には、ミナスジェライス州出身の仲間であるロー・ボルジェス、トニーニョ・オルタ等と、アルバム『Clube Da Esquina(街角クラブ)』を発表。1974年には、ウェイン・ショーターのアルバム『ネイティヴ・ダンサー』にゲスト参加し、幅広いファン層を得た。その後もジョージ・デュークやサラ・ヴォーンと共演し、MPBの枠にとどまらない活躍を続ける。 1988年に初来日。1990年にはポール・サイモンのアルバム『リズム・オブ・ザ・セインツ』に参加。 1991年のアルバム『TXAI』は、ビルボード誌のワールドミュージック・チャートで1位を獲得。同年、ライブ・アンダー・ザ・スカイに出演の為2度目の来日を果たした。 1994年のアルバム『ANGELUS』には、ジャズ/フュージョン界からウェイン・ショーター、ハービー・ハンコック、ロン・カーター、ジャック・ディジョネット、パット・メセニーが、ロック界からジョン・アンダーソン、ピーター・ガブリエル、ジェームズ・テイラーがゲスト参加。
来歴