ミラ・マルティネツ
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ミラ・マルティネツ(クロアチア語: Mira Martinec、韓国語: ?? ?????、1956年6月7日 - )は、クロアチア弁護士公証人外交官[1]ユーゴスラビア時代にザグレブで行政官として奉職した後、クロアチアが独立を宣言した翌年の1992年に司法省(クロアチア語版、英語版)(現・司法行政省)へ入省して憲法(クロアチア語版、英語版)制定や法整備に携わり、その傍ら公証人資格を取得[1]1996年に外交官へ転身し、ワシントンD.C.ハーグでの在外勤務や本省勤務を経て、在アルゼンチン大使(クロアチア語版)[1]、駐日大使(クロアチア語版)[2]、在チリ大使(クロアチア語版)を歴任[3]

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国クロアチア社会主義共和国(現・クロアチア共和国)リカ=セニ郡ブリニェ(クロアチア語版、英語版)出身。母国語セルビア・クロアチア語に加えて、英語スペイン語に堪能[1]
経歴

1963年から1971年にかけてポジェガ小学校で、1971年から1975年にかけてポジェガのギムナジウムで、1975年から1979年にかけてザグレブ大学法学部で修学[1]

1980年よりザグレブ市ペシュツェニツァ地区(クロアチア語版、英語版)(現・ペシュツェニツァ=ジトニャク地区)で行政官研修を受けて、1981年に専門家試験に合格。1985年まで行政官として当地で職務を遂行した[1]

1986年よりクロアチア社会主義共和国地方政府で法律や条例の起草を担当して、1990年司法試験に合格。クロアチアが独立を宣言した翌年の1992年にクロアチア共和国司法省(クロアチア語版、英語版)(現・司法行政省)へ入省して、憲法(クロアチア語版、英語版)制定や法整備に携わる。1994年には公証人資格を取得[1]

1996年、外務省(クロアチア語版、英語版)(現・外務欧州省)に転省して外交キャリアを開始。1996年から1999年にかけて、在アメリカ合衆国大使館(クロアチア語版、英語版)参事官公使参事官[1]

1999年から2000年にかけてザグレブの本省で外務大臣補佐官を務め、大使の称号を授かる(名称大使[1]

2000年から2004年にかけて在オランダ大使館公使参事官を務め、特命全権大使の不在時には臨時代理大使を兼任した[1]

2004年から2005年にかけてザグレブの本省で法務局長を務め、特命全権大使の称号を授かる[1]

2005年から2010年にかけて、ブエノスアイレス常駐の在アルゼンチン大使(クロアチア語版)[1][4]兼在ウルグアイ大使(クロアチア語版)[5][4]兼在パラグアイ大使(クロアチア語版)[6][4]

2011年から2015年にかけて、東京常駐の駐日大使(クロアチア語版)[2][7][8]兼在大韓民国大使(クロアチア語版)[9][8]


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