ミューチュアル・ファンド
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米国のミューチュアル・ファンド順位(2018年)[1]順位ファンドマネージャー運用額
1バンガード・グループ4.7 兆ドル
2フィデリティ・インベストメンツ1.7 兆ドル
3ブラックロック1.7 兆ドル
4キャピタル・グループ1.6 兆ドル
5Tロウ・プライス・グループ0.7 兆ドル
6ステート・ストリート0.6 兆ドル
7Dimensional0.4 兆ドル
8JPモルガン0.4 兆ドル
9フランクリン・テンプルトン0.3 兆ドル
10インベスコ0.3 兆ドル

ミューチュアル・ファンド(英語:mutual fund)は、オープンエンド会計の投資会社[2]または投資信託[3]である。

ミューチュアル・ファンドの資産総額は1979年末に千億ドルに満たなかったが、2000年末は7兆ドルに迫った。口座数は1979年末の100万から2.5億へ膨れ上がった。[4]2015年12月31日時点でミューチュアル・ファンドのThe Vanguard Group とCapital Group Companies が、JPモルガン・チェースマイクロソフトの主要な法人株主である[5][6]

「ミューチュアル」がつく同士でも相互会社とは別物である。また、ヘッジファンドより手堅く、はるかに資産規模が大きい。ヘッジファンドに対する優位性は、2010年から成長がとまらない上場投資信託市場でも示された。
概要

オープンエンド会計とは、買戻可能証券[注釈 1]を発行し、これを継続的に公衆に売出している事業形態をいう。買戻可能証券とは、その発行体=ミューチュアル・ファンドに提示することで随時償還を受けられるものであり、大体においてファンド総資産現在額のうち米国法で決められた部分に比例する金額を受け取れる[7]

ミューチュアル・ファンドには会社型と契約型がある。会社型は、運用目的のために設立された投資会社の株式を買うという仕組みで資金を集める。株式は全国証券業者協会などのブローカーを通じて公衆を相手に取引されるので、証券取引所または場外市場での取引は行われない[8]。契約型は、フィデリティのような投資信託会社またはソシエテ・ジェネラルのような信託銀行と契約して受益証券=投資信託を買う仕組みである。米国では会社型が、日本では契約型が、それぞれ大半を占める[3]

ミューチュアル・ファンドはおびただしい件数の会計をリアルタイムで処理するフィンテック のパイオニアといえる。2016年2月、フィナンシャル・タイムズによると、イギリスのシュローダーをふくむ5つのミューチュアル・ファンドがブロックチェーンの共同開発に参加した[9]

合衆国の郵便制度には郵便貯金簡易保険がない。そのことがミューチュアル・ファンドへ資金の集中する背景となっている。ミューチュアル・ファンドは先のような主要銘柄の株価や債券価格、および国内の株価指数を支えているとみられる。これは、郵貯や簡保のある他国から見ると郵政民営化のリアルシミュレーションである。

ミューチュアル・ファンド投資会社大手のヴァンガードは1976年に世界初のインデックスファンドを発売した。日本ではこの頃から急速に社債の規制緩和が進み、1984年には社債全体に占める外債の割合が90.6%に達した。

1998年7月、リッパー・アナリティカルをロイターが買収した。リッパーはファンドの過去運用成績を他ファンドと比較している。オーナーのマイケル・リッパーは移管後のリッパーで非常任理事となる。営業譲渡を受けたロイターは、リッパーの顧客であったミューチュアル・ファンドにコンサルティングを提供することになった[10]

現在、リッパーはロイターのライバルであったダウ・ジョーンズとともに、FactSet Research Systems へデータを供給している。
沿革「アメリカ合衆国の経済史#戦後の繁栄: 1945年-1973年」も参照

ミューチュアル・ファンドは1940年投資会社法が定義している。その第3条がまず投資会社を定義し、第4条が投資会社を3種に分けている。ユニット投資信託・額面証券会社・マネジメント会社の3種である。第5条(a)がマネジメント会社をクローズドエンド会計会社とオープンエンド会計会社に区分けしている。クローズド会計は一般の投資会社が行う種類であり、株式社債を発行し、買戻可能証券を発行しないものをいう。ミューチュアル・ファンドはオープンエンド会計である。ミューチュアル・ファンドは償還に随時応じる必要のあるため、資産の流動性にこだわる。したがってそのほとんどが、各銘柄をファンドの総資産に保有する割合が5%以下の分散投資型である[11]。投機性は、とにかくファンドによってまちまちである[12]

初めてのミューチュアル・ファンドは1924年にボストンで生まれた。この時期の投資信託は一般に会社が小さく、それでいて極端にレバレッジが高かった。このような投資信託に対して世界恐慌が人々の不信を招いたので、個人投資家の目に留まるのは1950年代を待たなければならなかった(次節に詳細)。1960年には、米国投資会社の総資産にミューチュアル・ファンドはおよそ9割を占めるようになった。1960年代の情報革命期に興ったミューチュアル・ファンドは、従来の安定志向ではなく、IBM などの成長銘柄を積極的に組み入れ短期的なキャピタルゲインを追求した。この後、70年代のインフレと金利上昇が新興のミューチュアル・ファンドに打撃を与えた。しかし、70年代は間接金融離れも並行した。資金を得たミューチュアル・ファンドは米国債の満期構成を長期化させた[13]。1980年にさしかかるころ、短期ファンドとしてのマネーマーケット・ミューチュアル・ファンド(MMF) が導入されて爆発的に増加した[注釈 2][14]

1985年から8年ほど、ミューチュアル・ファンドは債券部門が株式部門に資産額で劣らぬ状況が続いた。州地方債の非課税利子を組み入れた「非課税MMF」の人気が一因となっている[4]

他に連邦準備制度の銀証分離緩和に従い、地方債・モーゲージ証券・および国債をあつかうミューチュアル・ファンドへの資金流入がいきなり増えたというのもある。1992年には、高利回り債の新規発行分で実に3/4をミューチュアル・ファンドが購入した。もっとも、1990年代ミューチュアル・ファンド全体では、債券部門やMMF よりも株式部門で資金が余っていた。この90年代からファンドは私的年金、特に個人退職勘定[注釈 3]と関係を深め、ミューチュアル・ファンドの個人退職勘定口座は1993年にかけて毎年400から700億ドル増加している。マクロ視点から1983年と1993年の資金フローを比べると、家計からのフローで83年に銀行・モーゲージへ1769億ドル、ミューチュアル・年金ファンドへ1988億ドルだったものが、93年上半期で銀行・モーゲージへ132億ドル、ミューチャル年金へ5541億ドルとなっており、この数字でしか伝わらないような驚異的現象が起こっていた[15]

世界金融危機でミューチュアル・ファンドはダメージを受けた。株式部門で残高の減少が著しく、しかしMMF は横ばいとなっている(2006年4月から2008年4月まで)[16]。2008年時点で、ミューチュアル・ファンドは米国債の20.8%を保有している[13]
脱法


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