運営会社については「ミュンヘン空港 (企業)」をご覧ください。
ミュンヘン空港
Flughafen Munchen
Munich Airport
ミュンヘン空港全図
IATA: MUC - ICAO: EDDM
概要
国・地域 ドイツ
所在地バイエルン州フライジング
母都市ミュンヘン
運営者ミュンヘン空港有限会社
開港1992年5月17日
ターミナル数2
拠点航空会社
Augsburg Airways
方向 長さ×幅 (m) 表面
08R/26L 4,000×60 コンクリート
08L/26R 4,000×60 コンクリート
ヘリパッド
番号 長さ (m) 表面
H 30 コンクリート
統計(2018年)
旅客数46,253,623人
貨物取扱量368,377 t
発着回数413,469回
出典: Passenger Traffic, ADV[1]
ドイツ航空路誌 at EUROCONTROL[2]
リスト
空港の一覧
テンプレートを表示
市街地との位置関係
ミュンヘン空港 (ドイツ語: Flughafen Munchen, 英語: Munich Airport) (正式名: フランツ・ヨーゼフ・シュトラウス空港, ドイツ語: Flughafen Munchen Franz Josef Straus)は、ドイツ南部のバイエルン州ミュンヘン郊外(市内から北東約28km)のフライジング近くに位置する国際空港である。空港コードはMUC:IATA/EDDM:ICAO。ルフトハンザドイツ航空とスターアライアンスのハブ空港でもある。ルフトハンザドイツ航空に次いでエア・ドロミティの存在感が大きく、「イタリア最北の空港」[3]といわれるほどである。1992年5月に開港した。正式名称は、バイエルン州の州首相やドイツの連邦財務大臣を務めた政治家、フランツ・ヨーゼフ・シュトラウスの名を冠したものである。2018年の旅客数は約4600万人で、ドイツでは2番目、ヨーロッパでは8番目に多い空港であった。イギリスの調査会社スカイトラックスによる「ワールド・エアポート・アワード2016」で、2014年・2015年に続き3年連続で世界第3位(ヨーロッパでは第1位)の空港に選ばれた。 ミュンヘン空港はミュンヘンから北東へ28 km離れたフライジング近くに位置する。1618 haの敷地のうち、東半分はエルディング郡Oberding 1955年には既に旧ミュンヘン・リーム空港
位置
歴史
1963年3月に新空港建設予定地の選定が始められ、3年後にHofoldingerの森林とErdinger Moosが適地として推薦された。
1974年、ミュンヘン空港有限会社(FMG:Flughafen Munchen GmbH)は新空港計画を承認申請した。連邦行政裁判所で行われた5年間の公聴会を経て、1979年に連邦政府により滑走路3本からなる新ミュンヘン空港の計画が承認された。しかし、上述の事故の影響もあり、地域住民らによる異議申し立てがなされ、反対派住民5724人から5724件もの訴訟が出された[4]。
行政裁判所で調停が続けられる中で、当局は1980年11月に着工に踏み切ったが、反対派住民らの上告を受けた裁判所が「認可手続きに問題あり」「空港規模が大きすぎる」として1981年4月に差し止めの裁定を下した[4]。
そのため一時は空港の実現すら危ぶまれたが、日本の新東京国際空港(成田空港)建設にあたっての流血の事態が知れ渡り、「暴力による主張は双方の犠牲が大きな割に何も解決できない」との認識のもと、空港公団も反対派も「非暴力」による解決を目指した[4]。
当局はごり押しの姿勢を捨て、地元の理解を得るために250回に及ぶ対話集会を4年間開催した。ケルン・ボン空港と同様、国際空港の需要バランスを良くするためミュンヘンやアウクスブルクの間の地域人口を考慮し、上手く取り込めるよう双方の間で議論がなされた。これらの対話によって、空港規模は当初計画の2050ヘクタールから1387ヘクタールに、滑走路は将来計画を含めて4本から2本に縮小された、それによって反対派は空港建設に原則同意し、空港公団は1986年春までに約400人の土地所有者からの用地取得を実現した。その後、反対運動の争点は騒音問題に移り、騒音公害の防止と夜間飛行禁止が求められたが、1989年7月に裁判所の「夜間飛行は昼間の発着の5%とする」とした調停案を双方が受け入れた。同時に空港ターミナルビルのデザインについても対話の議題に取り上げられ、そこで出された方針に基づいてガラスと樹木を多用した明るく開放的で親しみやすいデザインが取り入れられた[4]。
これらの25年もの取り組みを経て、ミュンヘン空港の完成は当初計画より7年遅れることとなったが、1992年5月に開港を実現する。反対運動が渦巻き厳戒態勢の中で開港した成田空港とは対照的に、地域社会が祝福する中での門出であった[4]。1994年には成田空港問題円卓会議に参加する日本の運輸省・新東京国際空港公団や住民団体などからなる調査団が現地で視察を行っている[5]。
建設が始まった当時、Franzheimという村が空港予定地に存在したため、住民約500名が他の地域に移転した。ルフトハンザドイツ航空のメインハブ空港であるフランクフルト空港が飽和状態であるため、2018年現在、ミュンヘン空港はドイツ第2のハブ空港として機能している。
2003年6月に、ターミナル2がオープンし、ルフトハンザドイツ航空をはじめスターアライアンス各社が利用している。