ミャゼディ碑文(ミャゼディひぶん、ビルマ語: ?????? ????????)は、ミャンマーのバガン近郊で発見された石碑で、四面のそれぞれにパーリ語、ピュー語、モン語、ビルマ語で碑文が刻まれている。ビルマ語最古の碑文として有名である。
2015年にミャゼディ碑文はユネスコ記憶遺産に登録された[1]。 「ミャゼディ」とは、エメラルド(ミャ)のストゥーパ(ゼーディー)という意味で、バガンの南のミンカバー村にある同名のパゴダ付近で発見されたため、この名がある。ほとんど同じ内容の碑文が2つあり、1つめはスイスの考古学者でラングーン大学のパーリ語教授であったエーミール・フォルヒハマーによって1886-87年に、2つめは1904年に発見された。それぞれミャゼディ・パゴダとバガン考古学博物館に置かれている。
概要
ピュー語以外のパーリ語・モン語・ビルマ語の3つの言語は、基本的に同じ文字で書かれている[2]。現在のビルマ文字は円を基本にして構成されているが、ミャゼディ碑文の文字は角ばっていて、現在のビルマ文字とは大きく異なる。
ミャゼディ碑文はピュー語の解読のために重要な役割を果たした。 チャンシッター王の死にのぞんで、ラージャクマールが黄金の仏像を造って王にささげたこと、寺院を建てて3つの村を寄進したことを記す。 ここで言われている寺院とは、ミャゼディ・パゴダの西隣にあるグービャウッジー寺院のことと考えられている[3]。
内容
ギャラリー.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキメディア・コモンズには、ミャゼディ碑文に関連するカテゴリがあります。
ビルマ語
モン語
パーリ語
ピュー語
脚注^ “ ⇒Myazedi Quadrilingual Stone Inscription” (2014年). 2016年3月28日閲覧。
^ a b 西田(1981) pp.244-247
^ “Gu Byauk Gyi (Myinkaba)
参考文献
西田龍雄「東アジアの文字」『世界の文字』大修館書店、1981年、211-278頁。
外部リンク
澤田英夫「 ⇒ラージャクマール(ミャ=ゼーディー)碑文B柱 ビルマ語面」『古都バガン』。 ⇒http://www.aa.tufs.ac.jp/~sawadah/oldbagan/insc2.html。