ミヒャエル・グロス
Michael Gros
ミヒャエル・グロス(2014年)
ニックネームアルバトロス
泳法バタフライ、自由形
所属EOSC Offenbach
生年月日 (1964-06-17) 1964年6月17日(59歳)
生誕地 西ドイツ ヘッセン州フランクフルト
身長2.01 m
体重88 kg
獲得メダル
男子競泳
西ドイツ
大会1位2位3位
オリンピック321
世界水泳選手権553
ヨーロッパ水泳選手権1342
ユニバーシアード110
Total22126
オリンピック
金1984年ロサンゼルス200m自由形
金1984年ロサンゼルス100mバタフライ
金1988年ソウル200mバタフライ
銀1984年ロサンゼルス200mバタフライ
銀1984年ロサンゼルス4×200m自由形リレー
銅1988年ソウル4×200m自由形リレー
世界水泳選手権
金1982年グアヤキル200m自由形
金1982年グアヤキル200mバタフライ
金1986年マドリード200m自由形
金1986年マドリード200mバタフライ
金1991年パース4×200m自由形リレー
銀1982年グアヤキル100mバタフライ
銀1986年マドリード4×200m自由形リレー
銀1986年マドリード4×100mメドレーリレー
銀1991年パース100mバタフライ
銀1991年パース200mバタフライ
銅1982年グアヤキル4×200m自由形リレー
銅1982年グアヤキル4×100mメドレーリレー
銅1991年パース4×100mメドレーリレー
ヨーロッパ水泳選手権
金1981年スプリト
ミヒャエル・グロス(Michael Grosドイツ語発音: [?m?ca??e?l ???o?s], audio[ヘルプ/ファイル][注釈 1]、1964年6月17日 - )は、ドイツ(旧西ドイツ)の男子競泳選手である。
1980年代を代表する競泳選手の一人で、この間に世界記録を4回更新した。西ドイツ代表としてオリンピックに2度出場し、合計3個の金メダルを獲得した。また、世界水泳に3度出場し、合計5個の金メダルを獲得した[1][2][3]。1980年代のマット・ビオンディ(アメリカ)、1990年代のイアン・ソープ(オーストラリア)、2000年代のマイケル・フェルプスと共に万能型スイマー(水の怪物)の代表の一人として挙げられる。201センチメートルの長身と211センチメートルの長いリーチ[4]でバタフライを泳ぐ姿から「アルバトロス」(あほうどり)という愛称で呼ばれた。 西ドイツのヘッセン州フランクフルトで生まれ、水泳クラブ「EOSCオッフェンバッハ」でトレーニングを受けた。 1981年に200mバタフライで世界新記録を樹立。競泳では東ドイツの攻勢に後れを取っていた西ドイツで国民的英雄になる。1982年の世界水泳選手権では200mバタフライと200m自由形で金メダルを獲得した。 グロスがその名を世界にとどろかせたのは、1984年のロサンゼルスオリンピックである。200m自由形では圧倒的な強さで金メダルを獲得した。100mバタフライは、優勝候補筆頭だったアメリカのパブロ・モラレスを破り、マーク・スピッツのオリンピック記録を12年ぶりに更新する世界新記録で金メダルを獲得した。世界記録を持つ200mバタフライでの3冠が確実視されたが、当時無名だったオーストラリアのジョン・シーベン
キャリア
1985年のユニバーシアード神戸大会では、200mバタフライで金メダルを獲得した。このとき、頭にカタカナで「ドイツ」という刈り込みを入れるという茶目っ気のある一面もあった。
1988年のソウルオリンピックではアメリカのマット・ビオンディとの対決が注目を集めた。しかし、200m自由形、100mバタフライのいずれでもメダルを獲得できず、前回は金メダルを逃した200mバタフライでようやく金メダルを得た。
世界水泳選手権では5個、ヨーロッパ水泳選手権では13個の金メダルを獲得し、ドイツの「アスリート・オブ・ザ・イヤー」に1982年、1983年、1984年、1988年の4回選ばれた。
1991年に現役を引退した。1995年に国際水泳殿堂に殿堂入りした[3]。
2012年の夏季五輪に立候補したライプツィヒの招致活動に広報担当として参加した。 フランクフルト大学でドイツ語とメディア学、政治学を学び、文献学のPh.D.を取得した。
私生活