ミハエル・シューマッハ
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ミハエル・シューマッハ
シューマッハ (2012年中国GP)
基本情報
略称表記MSC (1997-2006, 2010-2012), SCH (1991-1996)
国籍 ドイツ
出身地 西ドイツ
同・ノルトライン=ヴェストファーレン州ライン=エルフト郡フルト
生年月日 (1969-01-03) 1969年1月3日(55歳)
F1での経歴
活動時期1991-2006,2010-2012
過去の所属チーム'91 ジョーダン
'91-'95 ベネトン
'96-'06 フェラーリ
'10-'12 メルセデス
出走回数308 (306スタート)
タイトル7 (1994, 1995, 2000, 2001, 2002, 2003, 2004)
優勝回数91
表彰台(3位以内)回数155
通算獲得ポイント1,566
ポールポジション68
ファステストラップ77
初戦1991年ベルギーGP
初勝利1992年ベルギーGP
最終勝利2006年中国GP
最終戦2012年ブラジルGP
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ミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher[?m?ca??l ??u?max?] ( 音声ファイル), 1969年1月3日 - )は、ドイツの元レーシングドライバー愛称はシューミ (Schumi)、マイケル[注 1] (Michael)。日本語表記は他に「ミハエル・シューマッハー[2]」やドイツ語の発音に近い[1]「ミヒャエル・シューマッハ」もある。英語圏では「マイケル・シューマッカー」と発音される場合がある。

ドイツ人初のF1ドライバーズチャンピオン。最多優勝91回、チャンピオン獲得7度などF1の主な個人記録を更新した。2006年に一度引退したが2010年に復帰し、2012年に再度現役を退いた。

その正確なドライビングと、強靭なフィジカル[3][4]から、日本では「ターミネーター」、日本国外では「サイボーグ」と呼ばれる時期があった。フェラーリ在籍期、フジテレビF1中継では「皇帝」の愛称が使われた。

6歳年下の実弟ラルフ・シューマッハウィリアムズなどで6勝を挙げた元F1ドライバー。息子のミック・シューマッハもF1ドライバーであったが、2023年はシートを失いミハエルが最後に過ごしたメルセデスのリザーブドライバーになった。
経歴
初期の経歴
カートとの出会い

1969年1月3日、ドイツノルトライン・ヴェストファーレン州ケルン近郊のフュルト・ヘルミュールハイム (Hurth-Hermulheim)で生まれる[5]。4歳の時、煉瓦職人の父から贈られた“原動機付きペダルカー”が車との出会いである。夢中で路上を走らせていたミハエルが電柱に衝突したため、心配した父が近所のカート場に連れて行き“本格的なレーシングカート”と遭遇した。このカート場は1961年に事故死したF1ドライバー、ヴォルフガング・フォン・トリップスの家族が所有しており、父はそこの管理を兼業するようになった[6]

1975年には次男のラルフ・シューマッハが誕生。1980年、カート場の移転にともない一家はケルペン・マンハイム (kerpen-Manheim) に転居し、父はカート場の管理人とレンタルカート屋、母はカート場の軽食スタンドで働くようになった。

1983年に国内カートライセンスを取得し、1984年1985年にはドイツ・ジュニア・カートチャンピオン、1987年にはドイツとヨーロッパのカートチャンピオンとなった。彼の家庭は出費のかさむこのスポーツを継続できるほど経済的に豊かではなく、他人が使い古したタイヤを拾ってきて使うこともあったという。だが、恩師ユルゲン・ディルク(F1ドライバー時代にはファンクラブ会長を務めた)の支援により、十分な環境とは言えないもののレースを続けた。
F3
1990年のドイツF3でドライブしたレイナード903・VW

中学卒業後は自動車販売店で自動車整備工として2年間半ほど勤務し、整備士の資格を取得する[注 2]1988年ジュニアフォーミュラにステップアップし、フォーミュラ・ケーニッヒ[注 3]フォーミュラ・フォードに参戦。ドイツF3選手権(英語版)に参戦するWTSレーシングのオーナー、ウィリー・ウェーバーに見初められ、マネージメント契約を結ぶ。

ドイツF3では1989年に2勝を挙げ、チャンピオンのカール・ヴェンドリンガーに1ポイント差のシリーズ3位。1990年には5勝してチャンピオンとなった。同年のマカオGPでは本命と見られていたイギリスF3選手権王者ミカ・ハッキネンを下して優勝した。その1週間後、日本の富士スピードウェイで初開催されたインターF3リーグにも参戦し、F3の国際レースで2週連続優勝した。
メルセデス・ジュニアチーム
バーニー・エクレストン(中央)と会話するSWC時代のシューマッハ(左)、1991年

1990年、メルセデス・ベンツが立ち上げた若手育成プロジェクトであるメルセデス・ジュニア・チームカール・ヴェンドリンガーハインツ=ハラルド・フレンツェンとともに選出された。3名は世界スポーツプロトタイプカー選手権 (WSPC) でメルセデスのワークス・チームであるザウバーから、ベテランのヨッヘン・マスのパートナーとして交代で参戦した。シューマッハは4戦出場してドライバーズ選手権5位、最終戦のメキシコで初優勝した。

1991年スポーツカー世界選手権 (SWC) に8戦出場し、ル・マン24時間レースでは5位入賞。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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