ミハエル・シューマッハ
シューマッハ (2012年中国GP)
基本情報
略称表記MSC (1997-2006, 2010-2012), SCH (1991-1996)
国籍 ドイツ
出身地 西ドイツ
同・ノルトライン=ヴェストファーレン州ライン=エルフト郡
ミハエル・シューマッハ(Michael Schumacher[?m?ca??l ??u?max?] ( 音声ファイル), 1969年1月3日 - )は、ドイツの元レーシングドライバー。愛称はシューミ (Schumi)、マイケル[注 1] (Michael)。日本語表記は他に「ミハエル・シューマッハー[2]」やドイツ語の発音に近い[1]「ミヒャエル・シューマッハ」もある。英語圏では「マイケル・シューマッカー」と発音される場合がある。
ドイツ人初のF1ドライバーズチャンピオン。最多優勝91回、チャンピオン獲得7度などF1の主な個人記録を更新した。2006年に一度引退したが2010年に復帰し、2012年に再度現役を退いた。
その正確なドライビングと、強靭なフィジカル[3][4]から、日本では「ターミネーター」、日本国外では「サイボーグ」と呼ばれる時期があった。フェラーリ在籍期、フジテレビのF1中継では「皇帝」の愛称が使われた。
6歳年下の実弟ラルフ・シューマッハはウィリアムズなどで6勝を挙げた元F1ドライバー。息子のミック・シューマッハもF1ドライバーであったが、2023年はシートを失いミハエルが最後に過ごしたメルセデスのリザーブドライバーになった。 1969年1月3日、ドイツノルトライン・ヴェストファーレン州ケルン近郊のフュルト・ヘルミュールハイム (Hurth
経歴
初期の経歴
カートとの出会い
1975年には次男のラルフ・シューマッハが誕生。1980年、カート場の移転にともない一家はケルペン・マンハイム (kerpen-Manheim) に転居し、父はカート場の管理人とレンタルカート屋、母はカート場の軽食スタンドで働くようになった。
1983年に国内カートライセンスを取得し、1984年・1985年にはドイツ・ジュニア・カートチャンピオン、1987年にはドイツとヨーロッパのカートチャンピオンとなった。彼の家庭は出費のかさむこのスポーツを継続できるほど経済的に豊かではなく、他人が使い古したタイヤを拾ってきて使うこともあったという。だが、恩師ユルゲン・ディルク(F1ドライバー時代にはファンクラブ会長を務めた)の支援により、十分な環境とは言えないもののレースを続けた。
F3
1990年のドイツF3でドライブしたレイナード903・VW
中学卒業後は自動車販売店で自動車整備工として2年間半ほど勤務し、整備士の資格を取得する[注 2]。1988年、ジュニアフォーミュラにステップアップし、フォーミュラ・ケーニッヒ[注 3]とフォーミュラ・フォードに参戦。ドイツF3選手権(英語版)に参戦するWTSレーシングのオーナー、ウィリー・ウェーバーに見初められ、マネージメント契約を結ぶ。
ドイツF3では1989年に2勝を挙げ、チャンピオンのカール・ヴェンドリンガーに1ポイント差のシリーズ3位。1990年には5勝してチャンピオンとなった。同年のマカオGPでは本命と見られていたイギリスF3選手権王者ミカ・ハッキネンを下して優勝した。その1週間後、日本の富士スピードウェイで初開催されたインターF3リーグにも参戦し、F3の国際レースで2週連続優勝した。
メルセデス・ジュニアチーム
バーニー・エクレストン(中央)と会話するSWC時代のシューマッハ(左)、1991年
1990年、メルセデス・ベンツが立ち上げた若手育成プロジェクトであるメルセデス・ジュニア・チームにカール・ヴェンドリンガー、ハインツ=ハラルド・フレンツェンとともに選出された。3名は世界スポーツプロトタイプカー選手権 (WSPC) でメルセデスのワークス・チームであるザウバーから、ベテランのヨッヘン・マスのパートナーとして交代で参戦した。シューマッハは4戦出場してドライバーズ選手権5位、最終戦のメキシコで初優勝した。
1991年はスポーツカー世界選手権 (SWC) に8戦出場し、ル・マン24時間レースでは5位入賞。