ミハエル・クルム
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ミハエル・クルム
Michael Krumm
2010年
基本情報
国籍 ドイツ
生年月日 (1970-03-19) 1970年3月19日(54歳)
出身地ドイツバーデン=ヴュルテンベルク州ロイトリンゲン
SUPER GTでの経歴
デビュー2005
所属KONDO Racing
車番24
シリーズ最高順位4位 (2006)
過去参加シリーズ
1988?1989
1990

1993
1994
1994?1997

1995?2004
1998

1999?2001
2007
2001

2005

2009ドイツ・フォーミュラ・フォード
ドイツ・フォーミュラ・ボクスホール
ドイツF3選手権
全日本F3選手権
全日本F3000選手権 / フォーミュラ・ニッポン
全日本GT選手権 (除く 1998年)
ドイツ・スーパーツーリング選手権
フォーミュラ・ニッポン

チャンプカー・ワールド・シリーズ
ヨーロピアン・ル・マン・シリーズ
FIA GT選手権
選手権タイトル
1989
1990

1994
1997, 2003
2011ドイツ・フォーミュラ・フォード
ドイツ・フォーミュラ・ボクスホール
全日本F3選手権
全日本GT選手権 (GT500)
FIA GT1世界選手権

ミハエル・クルム(Michael Krumm、1970年3月19日 - )は、ドイツ人のレーシングドライバー。現在はNISMOドライビングアカデミーの校長を務めている[1]
プロフィール

身長:183cm

体重:70kg

血液型:RH+A型

1988年にドイツ国内のフォーミュラ・フォードでデビューし、2年目にはシリーズチャンピオンを獲得した。翌年にはドイツ・フォーミュラオペルロータスのシリーズチャンピオンとなった。1992年にはドイツF3、1993年にはドイツF3とイタリアF3で活躍した。

1994年に来日し、同年の全日本F3選手権でシリーズチャンピオンを獲得した。以後、全日本F3000選手権フォーミュラ・ニッポン全日本GT選手権SUPER GTなど、日本のトップカテゴリーで活躍した。当初はトヨタワークスでの活動が多かったが、1998年のドイツ・スーパーツーリング選手権[2]日産・プリメーラで参戦したのを機に日産のワークスドライバーとなった。

2001年にはアメリカに渡りCARTデイル・コイン・レーシングから参戦したが、チームがシーズン途中でCARTから撤退してしまったため日本に復帰した。2002年にはル・マン24時間レースアウディ・R8で参戦し、総合3位を獲得した。

全日本GT選手権(後のSUPER GT)には1995年にトヨタ・スープラでデビューし、シリーズランキングは5位、優勝1回と好成績を収めた。1996年はポルシェでスポット参戦し、1997年には後にF1ドライバーとなるペドロ・デ・ラ・ロサとのコンビでシリーズチャンピオンを獲得した。1999年より日産・スカイラインGT-Rで復帰し、以後NISMOのドライバーとして活躍した。2003年には本山哲とともに2度目のシリーズチャンピオンを獲得した。

2009年から2011年にかけてNISMOのドライバーとしてFIA GT選手権日産・GT-Rで参戦。2009年8月22日、23日に開催されたSUPER GT第6戦鈴鹿ブノワ・トレルイエのピンチヒッターとして参戦。スポット参戦ではあるものの、6年ぶりに本山とコンビを組んだ。FIA GT選手権を引き継いだFIA GT1世界選手権にも引き続き参戦し、2011年にはルーカス・ルーアと組んでJRモータースポーツからエントリー、参戦3年目にしてシリーズチャンピオンを獲得した[3]

2012年は、ブノワ・トレルイエがSUPER GTと多くの日程が重なるFIA 世界耐久選手権へ参戦するためにNISMOを離脱したことから、その後釜として2012年より自身3年ぶりにSUPER GTのNISMOに復帰し、本山哲と8年ぶりにコンビを組む。また同年よりル・マン24時間に次世代車枠の“ガレージ#56”でエントリーするデルタウィングのドライバーにも起用される。

2013年9月30日に、日産GT-RのNISMOモデルでニュルブルクリンク(北コース)を7分08秒679で周回し[4]、量産市販車としての世界最速の記録を更新し、同年11月19日に行われたGT-Rの2014年モデルとNISMOモデルの発表会に出席し、日産CEOカルロス・ゴーンと共にこの成果を発表した[5]

2016年4月、NISMOのアンバサダーに就任すると共にニュルブルクリンク24時間レースへ参戦することが発表された[6]

2019年には同レースに初参戦するKONDO Racingのアドバイザーを務める。一睡もせずにドライバーに無線を送り続け、総合10位及びSP9クラス9位と日本勢として久々の好成績を残したチームに貢献した[7]

2020年からはNISMOのSUPER GT GT500クラスにおいて、本山哲と共にエグゼクティブアドバイザーを務める[8]。また2022年からは、KONDO Racingのアドバイザーの立場で、スーパーフォーミュラに参戦するサッシャ・フェネストラズの通訳を務める[9]

2024年からは、SUPER GTの500クラスに参戦するTOM'Sの37号車の監督に就任。TOM'Sに所属するのは1997年以来となる。
レース戦績

1988年 - ドイツ・フォーミュラフォード(レースデビュー)

1989年 - ドイツ・フォーミュラフォード(シリーズチャンピオン)

1990年 - ドイツ・フォーミュラオペル・ロータス(シリーズチャンピオン)

1993年 - ドイツF3選手権(シリーズ4位)

1994年

全日本F3選手権(
TOM'S #7 TOM'S 034F/トムス034F 3S-G)(シリーズチャンピオン・6勝)

全日本F3000選手権<Rd.8-10>(童夢 #6 トライダンロップ童夢F104/DOME F104 MF308)(シリーズ11位)


1995年

全日本F3000選手権<Rd.3-10>(OASYS ステラインターナショナル #21 STELLAR LOLA MCS/ローラT93/50 MF308)( - 位)

全日本GT選手権(TOM'S #36 トヨタ カストロール スープラ/スープラ JZA80)(シリーズ5位)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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