この項目では、スカートの一種について説明しています。アイドルユニットについては「ミニスカート (アイドルユニット)」を、AOAの曲については「Miniskirt (AOAの曲)
(朝鮮語版)」をご覧ください。この記事には複数の問題があります。改善やノートページでの議論にご協力ください。
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ミニスカートを着用した女性
ミニスカート(Miniskirt)は、丈の短いスカートの総称である。ミニスカートの長さの基準は特に決まっているわけではないが一般的には、着用した状態において裾のラインが膝よりも明らかに高い位置にくるもの、すなわち、いわゆる膝丈よりも短いスカートを指す。
「ミニスカ」あるいは「ミニ」略称されることがある。ミニスカートの中でも特に丈が短かく、大腿部の中央付近よりも上に裾がくるものは「マイクロミニスカート(スペイン語版)(マイクロミニ)」と呼ばれることもある。
歴史紀元前14世紀のエクトヴィズ・ガールの衣装の再現図短裙苗を着た女性たち (1900年)
考古学的に発掘された最古のミニスカート状の衣服は、紀元前1380年頃のエクトヴィズ・ガールのものである[1][2]。中国のミャオ族の清朝時代の衣装、短裙苗もミニスカートに似ている[3]。ダンサーのジョセフィン・ベーカーが1920年代半ばに舞台衣装として着ていたバナナスカートも非常に短いものであった。
1920年代以前は、西洋の女性は足首までの丈のスカートを着るのが通例であった。1920年代には、ココ・シャネルのデザインを筆頭にそれ以前の西洋の女性のスカートよりも丈が短いものが見られ始めた。しかし、1930年代は世界恐慌のため、1940年代は第二次世界大戦のため、女性のファッションは再び保守的なものとなった。1950年代後半から、一部の女性の間でスカートが短くなり始めた。1960年代はプレタポルテの台頭に加えて若者のファッションであるストリートファッションの影響力も強くなっており、その典型的アイテムが『ミニスカート』であった。
1959年にロンドンのストリート・デザイナーマリー・クヮントが若者向けに売り出し[4]、大ヒットする。1965年1月のヴォーグ誌ではジョン・ベイツ(英語版)がデザインしたミニスカートのドレスが特集され、後のその年のドレス・オブ・ザ・イヤーに選ばれている[5]。さらなる世界的な流行の火付け役は、フランスのファッションデザイナー、アンドレ・クレージュによる1965年1月の発表であった[6][7][8]。彼はその前年の1964年8月にもミニスカートを発表している[9]。これに続き、その他のデザイナーたちもミニスカートを発表し始めるようになった。この頃から、イギリス出身のモデルツイッギーが着用してブームを呼び起こし、これによりミニスカートは世界中に広がった。ツイッギーは1967年10月に来日し、日本にもツイッギー旋風を起こしてミニスカートを流行させた。
1927年のジョセフィン・ベーカー
1937年のカナダの女性たち
1950年のテレビ番組「Space Patrol」
1969年のマリー・クヮント
ミニ丈のドレス
迷彩柄のマイクロミニ
デニムのマイクロミニ
日本での歴史ギャル系ファッションのミニスカート。
1965年(昭和40年)8月11日、帝人が日本で初めてのミニスカート「テイジンエル」を発売。1967年(昭和42年)の3月、野際陽子がパリから帰国した際に着用[10]。同年10月、英国モデルのツイッギーが来日した時にミニスカートを着ていた[10]。同年に美空ひばりがミニスカート姿で「真赤な太陽」を歌謡番組で歌った。同年、ミニスカートブームにあやかって山本リンダが「ミニミニデート」、木の実ナナが「ミニ・ミニ・ロック」を歌ってヒットさせまた、藤ユキのデビュー曲「あなたと二日いたい」のB面曲である「ミニ・ミニ・デート」が話題になり、金井克子も「小っちゃな恋の歌(ミニ・ミニ・ラブ)/ミニ・ミニ・ガール」を発売するなど盛り上がりを見せた[11]。都市部の若い女性だけにとどまらず、世代を超えて全国津々浦々に広がり、1969年(昭和44年)に首相・佐藤栄作の訪米に同行した首相夫人・佐藤寛子は当時62歳の年齢でミニスカートを着用した。この当時多くの女性のミニスカートは、ひざ丈よりやや短い程度であった。
また、既存のスカートの裾を自ら短くしてミニスカートに改造することも多く、その様は漫画『サザエさん』でもしばしば描かれている。この第一次ミニスカートブームは交通機関・女性警官・大阪万博での多くのパビリオンのコンパニオンなど女性の制服にも影響したが、1973年(昭和48年)から 1974年(昭和49年)頃には終息した。その後1982年(昭和57年)頃の小流行を経て、1980年代末から1990年代初頭のバブル期には膝上30?35cmで「超ミニ」、「マイクロミニ」などとも呼ばれるミニスカートが流行した。この流行はボディコンシャスなスタイルの流行に伴うもの。その後は若年層を除いて極端なミニスカートの流行がたびたび見られる。スカートの丈と経済の好況不況が関連付けて論じられることもある。
ミニ丈の浴衣
制服イベントコンパニオン
女性警察官、OLなど、現在でもミニスカートが制服として採用されているところもある。民間企業で女性の制服が存在する場合、スカートである場合もある。