ミドルタウン市
City of Middletown
ミドルタウンの歴史あるメインストリート
愛称 : 森の都市
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯41度32分54秒 西経72度39分48秒 / 北緯41.54833度 西経72.66333度 / 41.54833; -72.66333
ミドルタウン(英: Middletown)は、 アメリカ合衆国コネチカット州のミドルセックス郡にある都市。人口は4万7717人(2020年)。コネチカット川に沿い、州都ハートフォードの南26キロメートルに位置している。1650年、当初のインディアンによる名前であるマッタベセックを使って町として編入された。1653年に現在の名前に変わった。1784年、中央部の開拓地が町とは異なる市として編入された。1923年、ミドルタウン市は町と合併し、大変広い領域を持つ都市になった。当初から繁華な港町であり、その後製造業の中心となり、現在は住宅都市かつウェズリアン大学のある学園都市である。1785年にミドルセックス郡が設立されたときから、1960年に郡庁を廃止するまで、ミドルタウンは郡庁所在地だった。
歴史ウェズリアン大学
ミドルタウン市が現在あるコネチカット川左岸の土地は、マッタベセット族インディアン(別名マッタベセックあるいはマッタベセク)の本拠であり、彼等が住んだ地域は部族名を採って名付けられていた。この地域に最初のヨーロッパ人開拓者が到着したとき、マッタベセット族はコネチカット川流域にいるインディアン集団の一部であり、ソーヒーグという一人の酋長の下に纏まっていた[2][3]。
1646年に「マッタベセット」の植民開拓計画がイギリスの高等法院によって書き上げられた。1650年にはコネチカット植民地の近くの所から最初のヨーロッパ人が到着した。この時のピューリタンによる初期開拓者の生活は容易ではなかった。ニューイングランドの岩の多い大地で土地を切り開き、家を建て、農業を行うことは過酷な労働を強いる試練だった。ピューリタンの間の法律も厳格なことが多かった。コネチカット植民地における死罪に該当する犯罪には「魔法使い、神への冒とく、親への呪いあるいは暴力、および子供の手に負えない頑固さが入っていた[2][3]。
17世紀後半にイギリス人の同盟部族であり、マッタベセットなど土地の部族には敵であったピクォート族モヘガン・バンドがミドルタウン地域に入ってきた。ピクォート族と地元のインディアンとの間に紛争が続いた。マッタベセット族などはモヘガンのことを「人の破壊者」と呼んだ。ソーヒーグは植民地人が仲裁してくれることを期待したが、そうはならなかった。天然痘もマッタベセット族に影響し、部族としての抵抗力や団結力を著しく弱めた。記録に拠れば、時間の経過と共にソーヒーグは土地の植民地人にマッタベセット族の資産の大半を売ってしまうことを「強いられた。」1676年までにピューリタンはマッタベセット族の領土の内300エーカー (1.2 km2) を除いて所有するようになった[3]。17世紀のニューイングランドではインディアンと植民地人の間の悲劇的交流についてはどこも同じような経過を辿った[4]。
1700年代、ミドルタウンはコネチカットの中でも最大で最も繁栄する開拓地になった。アメリカ独立戦争のときまでに、ミドルタウンはその重要さでボストンやニューヨークと並ぶ繁盛港であり、市民の3分の1は商業や船舶運航業に関わっていた。