ミドリ電化
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株式会社ミドリ電化
MIDORI DENKA CO., LTD.
本社があったミドリ電化JR尼崎駅前店
(現・エディオンJR尼崎駅店、2008年8月17日)
種類株式会社
市場情報非上場
略称ミドリ
本社所在地 日本
660-0808
兵庫県尼崎市潮江1-1-50
設立1961年昭和36年)8月
(株式会社ミドリ電化社)
業種小売業
法人番号1140001055037
事業内容家庭電化商品、情報通信機器等の販売
代表者代表取締役社長:中口雄二
資本金15億6,000万円
売上高1,946億7,900万円(2008年3月期)
総資産852億5,500万円2008年3月期)
従業員数2,476名(2007年9月末(連結))
決算期3月
主要株主エディオン 100%
関係する人物安保詮
特記事項:デオデオと統合前の2009年平成21年)9月30日現在の企業情報。
現在の運営会社の情報は「エディオン」を参照のこと。また「エディオンWEST」も参照。
テンプレートを表示
大津店
(新CIマーク、現・エディオン大津店、2010年8月撮影)泉大津店
(旧CIマーク、現・エディオン泉大津店、2007年7月撮影)中環東大阪店
(他社との同時出店例、現・エディオン中環東大阪店、2012年4月撮影)

ミドリ電化(ミドリでんか)は、かつて存在した近畿地方を営業基盤とする日本家電量販店チェーンエディオングループの店舗ブランドのひとつだった。屋号を始め対外的には「ミドリ」と称していた。

また、株式会社ミドリ電化(英語: MIDORI DENKA CO., LTD.)は、2009年平成21年)9月30日までこれを運営していた企業であるが、翌10月1日デオデオ合併して株式会社エディオンWESTとなった。以降は同社運営の店舗ブランドとして存続していたが、直営店舗については2012年(平成24年)10月1日に、フランチャイズ店舗は2013年(平成25年)4月に順次「エディオン」に統一された。

なお、山形県庄内地方において三洋電機特約店(スマイるNo.1ショップ)の小規模電器店(いわゆる"街の電器屋さん")を「みどり電化チェーン」のブランドで展開している株式会社みどり電化チェーン本部とは無関係。
概要

創業は1959年(昭和34年)4月で、本社は兵庫県尼崎市(JR)尼崎駅南側のJR尼崎駅店が入居しているビル(正式名称:JR尼崎駅東NKビル)にあった(それまでは阪急塚口駅南の塚口本店ビルの上層階にあった)。

創業当時は、阪急電鉄塚口駅南側にあった空き店舗を借りて営業を開始した。『ミドリ』の社名の由来は、借りた空き店舗に「みどり洋装店」という看板がそのまま掲げられており、創業者の安保 詮(あぼ あきら)がその看板を見て「『みどり』より下の部分だけを塗り替えれば費用が浮くじゃないか、『みどり』をそのまま使おう」と思いついたのがきっかけ[1]。その後はカタカナになり、1960年代頃までは「ミドリ電化社」と表記していた。

かつてのミドリ電化の最大の特徴として、2004年(平成16年)4月1日消費税総額表示が義務付けられる以前から「ポッキリ価格」として税込価格で表示していたことがある。これも創業者の安保のアイデアであり、お客様が計算しやすいようにという配慮でもあった。当時「『9800円にプラス消費税5%』と『税込み10,000円』、どっちがおトクか、よく考えてみよう」といったキャッチコピーでCMを放映していた(前者の合計は10,290円)。

また、それ以外の特徴として、持込修理の定額制(一部除く)、家具や食器などインテリア商品の販売などがあった。ただ、晩年ではインテリア類の販売は減少傾向にあり、特に晩年の新規店舗では家具系を一切扱わない店もあった。2010年(平成22年)には大部分の店舗において家具売り場を直営からナフコにテナントとして貸し出すこととなった(一部の店舗ではバラエティガレージというデオデオでも使われている雑貨コーナー名称を使用し直営での家具販売を継続した)。その代わり、エイデン・デオデオと共通の「ネバーランド」の名称で玩具・ゲーム・DVDなどのエンターテインメント商品の販売に注力し、一部の店舗ではCD・DVDのレンタル事業も行っていた。

かつては「エバーグリーン(EVER・G)」という名称でホームセンター事業も展開していたが、2000年(平成12年)頃に事業改編等で廃止された。

2005年(平成17年)11月に開店した「中環東大阪店(写真参照)」では、「カインズホーム」東大阪店、2006年(平成18年)4月に開店した「豊中本店」ではトイザらス系列の「ベビーザらス豊中店」と同居し、他にも天満橋店等の多数の店舗がテナントとして出店していた。

ヤマダ電機コジマケーズデンキなど関東系家電量販店 (いわゆる北関東YKK軍団) が関西に進出して以降、関西資本の家電量販店が相次いで倒産していく中で、関西資本の家電量販店として上新電機同様に単独で生き残ってきたものの、社の方針として非上場を貫いたため資金調達に困難を極めるようになり(上新電機は上場企業)、最終的に上場企業であるエディオンとの事業統合を決定した。2005年(平成17年)4月1日、株式交換によりエディオンの完全子会社となった。

統合前の店舗拡大においては、ダイエーのビジネスモデルを参考にしていた。上場企業でないため市中から資金調達が容易でなかったことから、銀行からの融資のほかに、子会社が店舗用地を取得した後に転売して得られた売却益を新たな店舗用地の買収費用に充てていた。また、かつてはダイエー店舗の近くに出店することが多く、ダイエーの集客力に頼った面もあった。

エディオンとの経営統合により、愛知の7店舗(扶桑、東浦、半田、安城、豊田、岡崎、名古屋みなと)と岐阜の2店舗(可児、真正)、三重の2店舗(鈴鹿、津南)は、エイデンの店舗に改装された。

また、エディオンの関東進出方針により、一時は凍結していた関東地区での出店も再開。2007年(平成19年)にロックシティ守谷ショッピングセンター(現・イオンタウン守谷)に出店した。しかし同年11月、エディオンが関東本格進出の足がかりとして子会社、株式会社東京エディオンを設立。関東地区での出店はすべて東京エディオンによる「エディオン」ブランドでの出店となり、関東地区の既存店も順次東京エディオンに移管され、店舗ブランドも「エディオン」に順次変更された。更に企業としての東京エディオン・石丸電気をエイデンが吸収した事を受けての方針転換で、関東地方で知名度のある屋号の「石丸電気」に再変更している。

以前はCM曲に「聖者の行進」の替え歌や別のオリジナル曲が使われた。また、当時では店内用BDMとしてZARDマイ フレンドがよく流されていた。後にイメージキャラクター「ミドリちゃん」の登場により『「やってみます」のうた』というオリジナル曲に変更され、関東地区ではこれを使ったCMこそ放送されていなかったが店舗のテレビで流していることはあった。ミドリ電化としての晩年は、エディオングループ共通で『エディ店長』が起用されたため、前述のオリジナル曲も使われなかった。

創業者の安保詮は、後にミドリ電化創業の地である尼崎への恩返しとして、尼崎城天守閣の復元プロジェクトに役立ててもらおうと、私財10億円以上を寄付する協定を尼崎市と2015年11月に結んだ[2]
沿革
ミドリ電化時代

1957年(昭和32年)11月 - 安保詮が尼崎市常光寺にて創業。

1959年(昭和34年)4月10日 - 創業日に制定。

1961年(昭和36年)8月 - 法人改組、株式会社ミドリ電化社設立。

1978年(昭和53年) - 株式会社ミドリ電化に社名変更。

1979年(昭和54年) - 旧CIマーク制定。

1984年(昭和59年) - この頃千葉県に展開。

1988年(昭和63年) - 塚口店横に本社機能を移転。

1989年(平成元年)4月1日 - 消費税スタートと同時に、内税価格を導入。

1994年(平成6年) - ミドリセールストレーニングセンター竣工。

2002年(平成14年) - JR尼崎駅駅ビル内にJR尼崎駅店を開店。

2003年(平成15年) - 塚口店閉店[3]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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