ミッドランド本線
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「ミッドランド・メイン・ライン」はこの項目へ転送されています。かつて存在した列車運行会社の「Midland Mainline」については「ミッドランド・メインライン」をご覧ください。

ミッドランド本線
イースト・ミッドランズ・レールウェイ(英語版)の222形
概要
系統ナショナル・レール
所在地グレーター・ロンドン
イースト・オブ・イングランド
イースト・ミッドランズ
ヨークシャー・アンド・ザ・ハンバー
起終点ロンドン・セント・パンクラス駅
シェフィールド駅(英語版・
ノッティンガム駅(英語版・
駅数35(ロンドン - シェフィールド)
運営
開業1839年 - 1868年
所有者ネットワーク・レール
運営者イースト・ミッドランズ・レールウェイ(英語版)
クロスカントリー
ゴヴィア・テムズリンク・レールウェイ
トランスペナイン・エクスプレス
ノーザン・トレインズ(英語版)
GBレールフレート(英語版)
フレイトライナー・グループ
DBカーゴUK(英語版)
ダイレクト・レール・サービス(英語版)
車両基地クリックルウッド(英語版)
ダービー・エッチス・パーク(英語版)
ノッティンガム・イーストクロフト(英語版)
トトン(英語版)
ネヴィル・ヒル(英語版)
シェフィールド駅
使用車両インターシティ125
150形 スプリンター
153形 スーパー・スプリンター(英語版)
156形 スーパー・スプリンター
158形 エクスプレス・スプリンター
170形 ターボスター
180形 アデランテ(英語版)
185形 デジロ
220形 ボイジャー(英語版)
221形 スーパー・ボイジャー
222形 メリディアン
700形 デジロ・シティ
路線諸元
軌間1435mm(標準軌
運行速度最高125 mph (201 km/h)

路線図


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ミッドランド本線(ミッドランドほんせん、英語: Midland Main Line)はロンドンとミッドランド地方(英語版)のノッティンガムヨークシャーシェフィールドを結ぶイギリス鉄道路線である。セント・パンクラス駅からレスター駅(英語版・)、ダービー駅(英語版・)、ノッティンガム駅(英語版・)、チェスターフィールド駅(英語版・)、シェフィールド駅(英語版・)を結んでいるが、ネットワーク・レールではこのうちチェスターフィールド駅までの区間をミッドランド本線と呼称している[1]

ミッドランド本線の長距離列車は2020年現在、イースト・ミッドランズ・レールウェイ(英語版)によって運行されている。セント・パンクラス駅からベッドフォード駅(英語版・)までの区間は電化されており、テムズリンク・ネットワークの一部として南東部イースト・サセックスブライトン駅などへの直通列車が運行されている。

北部では、ダービー駅 - チェスターフィールド駅間がクロスカントリールートの一部をなしており、ノッティンガム駅からリーズ駅(英語版・)までの区間はノーザン・トレインズ(英語版)とも共有している。このほか、短距離列車の一部もイースト・ミッドランズ・レールウェイによって運行されている。
歴史イギリスの主要鉄道路線
緑で示されているのがミッドランド本線
最初期

ミッドランド本線は1830年代から1870年代にかけて複数の段階で建設された。

最初に開業したのはノッティンガム(英語版) - ダービー(英語版・)間で、ミッドランド・カウンティーズ鉄道(英語版)によって1839年6月4日に開業した[2]。翌1840年5月5日には、途中のトレント・ジャンクション(英語版)からレスター(英語版・)への路線が開通した[3]

同年7月1日にはノース・ミッドランド鉄道(英語版)によってダービーからチェスターフィールド(英語版・)、ロザラム・マスバラ(英語版・)、スウィントン(街(英語版))、ノルマントン(英語版・街(英語版))を経由してリーズ・ハンスレットレーン(英語版・)に至る路線が開業した。

1844年5月10日、ノース・ミッドランド鉄道、ミッドランド・カウンティ―ズ鉄道、バーミンガム・アンド・ダービー・ジャンクション鉄道(英語版)の3社が合併し、ミッドランド鉄道となった。
南への延伸

ミッドランド鉄道はロンドンへの路線を持っておらず、ラグビーでロンドン・アンド・バーミンガム鉄道(英語版)に直通することでユーストン駅に乗り入れていた。しかし、1850年代にはラグビーでの線路容量の問題が深刻になったため、トーマス・ブラッセイ(英語版)を雇ってレスターからケタリング(英語版・)、ウェリングバラ(英語版・街(英語版))、ベッドフォード(英語版・)を経由してヒッチン(英語版・街(英語版))に至る路線を建設し、グレート・ノーザン鉄道に接続する計画が立てられた[4]クリミア戦争の影響で労働力と資金が不足しており、予算は90万ポンド(2023年時点の£108,450,000と同等・1マイル当たり15,000ポンド)であった[5]。このため、地形に沿って敷設されることになり、曲線や勾配の多い路線となった。橋は7か所、トンネルは1か所設置され、デスバラ(英語版)とシャーンブルック(英語版)にはそれぞれ18mの切通しがあった。主要な峠はキブワース(英語版)、デスバラ、シャーンブルックの3か所であり、このうちシャーンブルックは標高100mでその南側では8‰の勾配が約5km続いていた。この路線は1857年4月15日に石炭列車向けに、5月4日に一般貨物列車向けに、5月8日に旅客列車向けに開業した[6]。この路線のうち、レスター - ベッドフォード間は現在に至るまでミッドランド本線の一部をなしている。

この延伸によりラグビーでの問題は改善されたが、グレート・ノーザン鉄道は直通列車の運転を認めなかったため、乗客はヒッチンで降車し、短い乗り換え時間の中で乗車券を購入したうえでグレート・ノーザン鉄道の列車に乗車することを余儀なくされていた。この問題を解決するため、総支配人のジェームス・オールポート(英語版)はグレート・ノーザン鉄道と交渉し、キングス・クロス駅への直通列車を7年間運行する契約を年間2万ポンド(2023年時点の£2,410,000と同等)で締結、1858年2月からグレート・ノーザン鉄道を経由したロンドンへの直通列車の運行が開始された[7]

しかし、この経路もまたヒッチンで線路容量の問題が発生したため、ベッドフォードからルートン(英語版・)を経由してセント・パンクラス駅に至る路線が建設され、1868年10月1日に開業した[5][8]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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