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ミッドウェー島現地名: Kauihelani; Pihemanu
ミッドウェー島の衛星画像
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地理
場所太平洋
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯28度12分 西経177度21分 / 北緯28.200度 西経177.350度 / 28.200; -177.350座標: 北緯28度12分 西経177度21分 / 北緯28.200度 西経177.350度 / 28.200; -177.350
諸島ハワイ諸島
面積6.269 km2 (2.420 sq mi)
長さ8.05 km (5.002 mi)
幅8.05 km (5.002 mi)
最高標高13.1 m (43 ft)
行政
アメリカ合衆国
人口統計
人口39
人口密度6.37 /km2 (16.5 /sq mi)
追加情報
時間帯.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}
サモア標準時(UTC-11)
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ミッドウェー島(衛星画像)サンド島(奥)とイースタン島。1941年撮影ミッドウェー島の旗
ミッドウェー島(ミッドウェーとう、英語: Midway Atoll)は、北太平洋の北西ハワイ諸島にあるアメリカ合衆国領の環礁で、ミッドウェー諸島、ミッドウェー環礁[1]とも呼ばれる。合衆国領有小離島の1つ。位置は北緯28度13分 西経177度22分 / 北緯28.217度 西経177.367度 / 28.217; -177.367。アメリカ領太平洋諸島に属し、標準時はUTC-11。
地理 ミッドウェー島のパノラマ写真。島はほぼ平坦でサンゴ礁質の石灰岩からできている。
ハワイ-天皇海山列の北西ハワイ諸島に属する火山島。ハワイから東京への距離の1/3ほど、ジョンストン島から北に約1,000キロの位置にある。
約2,800万年前にハワイ・ホットスポットでハワイ諸島のラナイ島とほぼ同程度の火山島を形成したと考えられ、プレート運動により移動しながら活動を休止、徐々に沈降しながら環礁を形成した。礁湖は2つの大きな島(サンド島 0.49km2、イースタン島 0.14km2)といくつかの無人島で囲まれ、陸地面積は6.23km2、礁湖の面積は60.1km2、これに砂州が加わる。西に隣接するクレ環礁とともに、環礁形成の北限とされる。
北アメリカ大陸とユーラシア大陸の中間点に位置し、「ミッドウェー」の名称はこれに由来している。北西ハワイ諸島のなかでは、ほぼ唯一の有人島で人口60人ほど(2014年)を有するが、ミッドウェー島だけがハワイ州に属していない。 1859年7月5日にガンビア号のN・C・ミドルブルックス(又はブルックス)船長によって発見された。ミドルブルックス船長は、これらの島々に自身の名前からミドルブルックス諸島(Middlebrook Islands、又はブルックス諸島)と命名した。ミドルブルックス船長は1856年に制定されたグアノ島法に基づいて、アメリカ人がグアノを得るために無人島を一時的に占有することを認め、諸島のアメリカ合衆国の領有権を主張した。1867年8月28日にアメリカ海軍のウィリアム・レイノルズ
歴史
1871年3月24日、議会から資金を得た太平洋郵船会社のUSSサギノーが、ラグーンへの水路建設事業に着手した。ハワイ王国の港湾使用料を避ける給炭所を建設する計画だったが、10月29日に船が立ち寄ったクレ環礁で座礁し、事業は失敗した。
1897年前後からアホウドリ捕獲を目的として日本人が北西ハワイ諸島に進出[2]。日本政府内ではミッドウェー島の借り入れ問題が検討された[3]。1900年、海底電線敷設調査のため派遣されたアメリカの調査船が、イースタン島に日本人が居住しているのを発見[4]。これを受けてアメリカ政府は日本に対して島の主権確認の申し入れを行い、日本側は主権を主張する意思はないと回答した[5]。
1903年1月20日、アメリカ海軍管理下に置かれた。この年開通したサンフランシスコ - マニラ間の太平洋海底ケーブル[注釈 2]を敷設中だった 商業太平洋海底電信会社の要請に応じたもので、21人の海兵隊員が駐留した。工事に伴い、多数の外来種が持ち込まれた。
1935年1月19日、島の所管が内務省から海軍省に移管[6]。さらに同年、パンアメリカン航空の飛行艇がアメリカ - 中国航路(アイランドホッピング)を開設すると、その中継地となり、太平洋を横断する航空機の給油地となった。軍事面の要衝であり、1940年頃よりハワイ諸島防衛の拠点として基地化が進んだ。
第二次世界大戦中の1942年6月4日には、この環礁を巡り、日本海軍とアメリカ海軍との間でミッドウェー海戦が行われ、アメリカ海軍が勝利した。日本は海戦に勝利した場合、ミッドウェー島を『水無月島』と改名して領土化することを予定し、直ちに占領体制を敷けるよう郵便局長など多数の文官を艦隊に帯同させたが、敗退によってその試みは潰えた。
冷戦期もアメリカ海軍の基地が置かれ、ベトナム戦争中の1969年6月8日にはベトナム共和国(南ベトナム)のグエン・バン・チュー大統領とリチャード・ニクソン大統領の会談の場となった。