ミッシング・パーソンズ
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ミッシング・パーソンズ
Missing Persons
ミッシング・パーソンズ(2016年)
基本情報
別名ミッシング・パーソンズ・フィーチャリング・デイル・ボジオ
出身地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
ジャンルニュー・ウェイヴシンセポップポストパンクポップ・ロック
活動期間1980年 - 1986年2001年 - 2003年2009年2011年 -
レーベルワン・ウェイキャピトルパイオニア、Sumthing Else、Cleopatra、Hypnotic、ワーナー
共同作業者フランク・ザッパデュラン・デュラン、Liquid Mind、U.K.、Chicanery

メンバーデイル・ボジオ
フレッド・ベンジ
カール・ダミコ
プレスコット・ナイルズ
アンディ・サネシ

旧メンバーテリー・ボジオ
ウォーレン・ククルロ
パトリック・オハーン
チャック・ワイルド
ロン・ポスター
ウェス・ウェミラー
ジェイク・ヘイデン
ジョー・トラヴァース
シェイラ・ゴンザレス
ダグ・ラン
マイケル・T・ロス
パトリック・ボーレン

ミッシング・パーソンズ(Missing Persons)は、ギタリストのウォーレン・ククルロ、ボーカリストのデイル・ボジオ、ドラマーのテリー・ボジオによって、1980年にロサンゼルスで結成されたアメリカのロック・バンドである。後にベーシストのパトリック・オハーンとキーボード奏者のチャック・ワイルドを加えた。デイルの風変わりな声と奇抜なメイクは、1980年代初頭にバンドをMTVのお気に入りへと導いた[1]

デイルとテリー・ボジオはフランク・ザッパと一緒に仕事をしているときに出会い、1979年に結婚した[2]。ククルロは、ザッパのアルバム『ジョーのガレージ』(1979年)に関与しているとき、このペアと出会った。オハーンはザッパのツアー・バンドの元メンバーでもあり、ワイルドは参加する前にさまざまなバンドで演奏していた。
初期の略歴
初期および『スプリング・セッションM』(1980年?1983年)

1980年、バンドはテリー・ボジオ、デイル・ボジオ、ウォーレン・ククルロからなるトリオであった。セッション・ミュージシャンによって補強されていたこのグループは、ザッパの新しいユーティリティ・マフィン・リサーチ・キッチン・スタジオで、最初のレコードである『行方不明者 (ミッシング・パーソンズ)』というタイトルの4曲入りEPを作成した。レコーディングはククルロの父親によって資金提供された。バンドはツアーを行い、EPを宣伝し、映画『女子大生課外授業/恋のランチワゴン (Lunch Wagon)』(1981年)に出演し、ロサンゼルスのライブ・ミュージック・ファンたちの間で必見のバンドとなっていった。シングル「Mental Hopscotch」は地元のラジオ局KROQ-FMで1位を記録し、自分たちで宣伝したEPは7,000枚を売り上げた。

2年間の懸命な努力により、1982年にキャピトル・レコードと契約を交わした。レーベルのサポートによって再リリースされた4曲のEPは、ドアーズのカバー「Hello, I Love You」の代わりに「おしゃべり・ワーズ! (Words)」を収録してさらに25万枚を売り上げた。この時までに、バンドはチャック・ワイルド(デビューEPのセッション・プレイヤー)とパトリック・オハーン(元フランク・ザッパ・バンドでテリー・ボジオのバンドメイト)をラインナップに加え、彼らは新しいフル・アルバム『スプリング・セッションM』(1982年)をレコーディングした。「Spring Session M」というタイトルは「Missing Persons」のアナグラムであった。アルバムには「おしゃべり・ワーズ!」と「失われた未来 (Destination Unknown)」の両EPが含まれ、ゴールドディスクとなった。

『スプリング・セッションM』は「失われた未来」「おしゃべり・ワーズ!」「Walking in L.A.」「Windows」という4枚をシングル・カットした。これらはすべてBillboard Hot 100に入ったが、42位を超えるチャートインはなかった。バンドはロサンゼルス、ニューヨークサンフランシスコのローカル・マーケットでかなりの成功を収めた。また「おしゃべり・ワーズ!」のミュージック・ビデオで使用されていた視覚効果は、当時としては珍しく、ケーブルテレビの新進チャンネルであったMTVで人気を博した。

ミッシング・パーソンズは、1983年にUSフェスティバルとして知られる南カリフォルニアにおける3日間のコンサートに、デヴィッド・ボウイプリテンダーズU2スティーヴィー・ニックスとともに出演した。
衰退と『ライム&リーズン』(1984年?1986年)

グループはデビューを実験的なアルバム『ライム&リーズン』(1984年)でフォローアップしたが、これはコマーシャルな作風でもなく重要な成功を導くものでもなかった。「Surrender Your Heart」のビデオはピーター・マックスによってデザインされ、MTVで放送されたが、シングルとしてはHot 100に到達できなかった。チャートに反応があったのは「ギヴ!」1曲だけであった。チャック・ワイルドはこのアルバムの後にミッシング・パーソンズを脱退し、代わりのメンバーが加入することはなかった。

キャピトル・レコードは、バンドの方向性と商業的な低迷に満足していなかった。そこで、サード・アルバムのプロデュースは、パワー・ステーションのアルバムを手がけたばかりで、実績あるヒットメーカーとなっていたシックバーナード・エドワーズに託された。その結果、1986年6月に、よりポピュラーなアルバム『カラー・イン・ユア・ライフ』がリリースされたものの、「ダンスはキライ」というマイナー・ヒットしか生み出せなかった。

1986年、『カラー・イン・ユア・ライフ』の短期間のプロモーション・ツアー中に、テリーとデイル・ボジオの間の緊張が高まったことで、ツアー、2人の結婚生活、バンド、そのすべての終焉へとつながった。
再結成
2001年?2003年

2000年後半、ウォーレン・ククルロとデイル・ボジオは再びミッシング・パーソンズの再結成について話し合い始めた。2001年5月、ウォーレンがデュラン・デュランと袂を分かった後、オリジナル・メンバーであるウォーレン、デイル、テリーからなる新しいミッシング・パーソンズが登場した。彼らに加わったのは、ロン・ポスター(ボストン・ブルーインズのホーム・ホッケー・アリーナのためのジャズ・ピアニストにしてオルガニスト)とウォーレンのベーシスト、ウェス・ウェミラー(1997年から2001年までデュラン・デュランのツアー・ベーシスト)であった。2001年7月という短期間の公式な再結成はプロモーション活動と3回のライブ・パフォーマンスで構成された。後のアルバム『Lost Tracks』(2002年)に登場するスタジオ・トラック「Dark and Dangerous Guy」と「Throw Money」がこの時期に録音されている。同アルバム収録の「Face to Face」と「Give」のライブ・パフォーマンスもこの時期のもの。プロモーション・ツアーが終了した後、テリー・ボジオはデイルとの別れに起因する未解決の問題のために再結成したバンドを再び脱退した。2004年のインタビューにおけるデイルによると、彼女への彼の別れの言葉は「それはあなたのすべてです、デイル、それは常にあなたのことです」であった。自身のウェブサイトのFAQセクションで、テリーは、自分がバンドの音楽や彼らと演奏することが好きなのに、その再結成がデイルの「不可思議さ」のために失敗したため、ミッシング・パーソンズは彼にとって「心を打ち砕くもの」であったと述べている。バンドは一時的にジェイク・ヘイデンがテリー・ボジオの代わりを務めたが、その後まもなく解散した。

2002年後半/ 2003年初頭に「ミッシング・パーソンズ・フィーチャリング・デイル・ボジオ・アンド・ウォーレン・ククルロ」が登場した。彼らは再びポスターとウェミラー、そして新ドラマーのジョー・トラヴァース(かつてククルロのソロ・バンドや、1999年から2001年までデュラン・デュランのツアー・ドラマーを担当)が参加した。このバージョンのミッシング・パーソンズは、アクセス・ハリウッド(「失われた未来」を演奏)で取り上げられ、2003年2月に3回のライブを行い、その後まもなく解散した[3]
2009年と2011年?現在

2009年、デイル・ボジオとウォーレン・ククルロは再びバンドを再結成した。この時のラインナップは、ボジオ、ククルロ、トラヴァースに、キーボード奏者のシェイラ・ゴンザレス、ベーシストのダグ・ランで構成されている[4]

2011年5月11日、デイル・ボジオのウェブサイトで、「デイルとウォーレンは、1982年に初めてリリースされたバンドの画期的な認定ゴールド・アルバムである『スプリング・セッションM』の30周年を見越して、素晴らしい再結成ツアーのためにミッシング・パーソンズを改編した」とアナウンスした。同じ発表で、この再結成にテリー・ボジオが加わらなかったことは「ロック・バンドは機能不全の家族のようなものであり、時にはショーがすべてのオンボードで進行できない」という言葉で説明された[5]。このラインナップはデイル・ボジオに加えてククルロ、ベースのプレスコット・ナイルズ、ギターのパトリック・ボーレン、キーボードのフレッド・ベンジ、そしてドラムのアンディ・サネシにより構成されていた。ククルロは、2011年のショーの終了後、再びバンドを脱退した。しかしそれ以来、バンドは正式に解散していない。

2014年12月、『Missing In Action』というタイトルの新しいミッシング・パーソンズのアルバムが発表され、「ミッシング・パーソンズ・フィーチャリング・デイル・ボジオ」のクレジットが付けられた。ミッシング・パーソンズはこの時、デイル・ボジオとマルチ・インストゥルメンタリストのビリー・シャーウッドで構成されていた。


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