ミッコ・ヒルボネン
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ミッコ・ヒルボネン
2014年ラリー・ドイツにて
基本情報
国籍 フィンランド
生年月日 (1980-07-31) 1980年7月31日(43歳)
出身地フィンランド カノンコスキ
WRCでの経歴
活動時期2002年 - 2014年
コ・ドライバー ミイカ・アンティラ
ヤルモ・レーティネン
所属チームフォードスバルシュコダシトロエン
出走回数163
チャンピオン回数0
優勝回数15
表彰台回数69
ステージ勝利数258
通算獲得ポイント1192
初戦2002 ラリー・フィンランド
初勝利2006 ラリー・オーストラリア
最終勝利2012 ラリー・イタリア・サルディニア
最終戦2014 ラリーGB
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ミッコ・ヒルボネン(: Mikko Hirvonen、1980年7月31日 - )は、フィンランド中央スオミ県出身のラリードライバー。世界ラリー選手権 (WRC) で活躍した後、ダカールラリーにも参戦した。
経歴
WRCスバル・インプレッサWRX STIをドライブ(2004年キプロス・ラリー

他の多くのラリー・ドライバーと同じく彼もラリー競技が身近な環境で育ち、18歳のときに本格的なキャリアをスタートさせる(その頃は彼の親族が交替でコ・ドライバーを務めていた)。フィンランド国内のラリーを中心に参戦を続けていたが、ターマックでの走行距離を伸ばす事にも必要性を感じてイギリスやフランスのラリーにも参加した。

2003年よりフォードから世界ラリー選手権(WRC)にフル参戦を果す。その後引退するトミ・マキネンから推薦を受け、2004年スバルへ移籍するものの、ペター・ソルベルグ中心のチーム体制に馴染めずミスを重ねてシーズン終了後にチームから放出される憂目を体験する。ミッコ・ヒルボネンが運転するフォーカスWRC'07ラリージャパン2007)

しかし、2005年フォード・フォーカスの型落ちマシンでスポット参戦し、ラリー・カタルーニャで3位表彰台を獲得するなど大きな活躍を見せた事が評価され、2006年からは再びフォードワークスから参戦。同年のラリー・オーストラリアにてWRC初優勝を決めてドライバーズタイトルランキング3位となる。2007年もノルウェー、ラリージャパンGBと3勝をあげ前年同様のランキング3位とし、フォードの2年連続マニュファクチャラーズタイトル獲得に大きく貢献した。

2008年は、マーカス・グロンホルムの引退に伴い1stドライバーへ昇格すると、安定した走りで3勝を挙げセバスチャン・ローブに次ぐランキング2位。2009年は序盤5戦全てをライバルであるセバスチャン・ローブが優勝し20ポイント差まで広がったが、後半戦に激しく追い上げ最終戦ラリーGBを前に1ポイントのリードを得たものの、ラリーGBでローブを上回る成績を残せず最終的に1ポイントの僅差でタイトルを逃す。

2010年は開幕戦ラリー・スウェーデンで優勝するもラリー・メキシコ以降は不調が続き、ランキング6位に終わる。また、インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ (IRC) の開幕戦モンテカルロにスポット参戦し、フォード・フィエスタS2000のデビューウィンを飾る。

2011年の開幕戦スウェーデンでは1年振りに優勝し連覇を成し遂げる。その後はシトロエン・ワークスのセバスチャン・ローブ、セバスチャン・オジェに優勝を独占されるもラリー・オーストラリアで優勝、フランス、スペインでのヤリ=マティ・ラトバラのサポートもあり三つ巴のタイトル争いに踏み止まった。その後スペインでオジェがリタイアし脱落した事でローブとの一騎討ちとなり、最終戦ラリーGBを前に8ポイント差まで迫る。しかしラリーGBでは共にリタイアとなり、またしてもタイトルには手が届かなかった。シトロエン・DS3 WRCを運転するヒルボネン(2012ラリーGB)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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