ミック・ジョーンズ
Mick Jones
基本情報
出生名マイケル・ジェフリー・ジョーンズ
生誕 (1955-06-26) 1955年6月26日(68歳)
出身地 イングランド
ロンドン・ワンズワース
ジャンルロック
パンク・ロック
ニュー・ウェイヴ
職業ボーカル
ギタリスト
活動期間1975年- 現在
レーベルCBS, I.R.S. Records, Radioactive Records
共同作業者ザ・クラッシュ
ジェネラル・パブリック
ビッグ・オーディオ・ダイナマイト
カーボン/シリコン
著名使用楽器
ギブソン・レスポール
フェンダー・テレキャスター
マイケル・ジェフリー・ジョーンズ(Michael Geoffrey Jones、1955年6月26日 - )は、イギリス・ロンドン出身のミュージシャン。元ザ・クラッシュのギタリスト ミック・ジョーンズ(Mick Jones)として最も知られている。
1983年にクラッシュを解雇され、ビッグ・オーディオ・ダイナマイトをドン・レッツ等と結成、ビッグ・オーディオ・ダイナマイトII、ビッグ・オーディオと名を変えてバンドを続けた。その後、仲間のトニー・ジェイムスとカーボン/シリコンを結成、2002年から2007年にかけて数枚のアルバムを発表した[1]。
ローリング・ストーン誌「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も過小評価されている25人のギタリスト」に於いて第13位に選ばれたミック・ジョーンズ(フォリナー)とは別人。 ロンドン自治区のワンズワースで、ウェールズ出身の父とロシア系ユダヤ人の母の間に生まれた[2]。幼少の頃から母方の祖母ステラと長い間同居していた。ストランド・スクールに入学し、「バンドに入るために」美術学校に進んだ[3]。ドールズの前にも周りのいろんなバンドを追っかけてたよ。モット・ザ・フープルを追っかけて国中をね。リヴァプール、ニューカッスル、他にも。タウン・ホールの入り口で寝て、汽車賃なんかごまかしてね。車掌が来たらトイレに隠れてるのさ。で、駅に着く前に列車を飛び降り、フェンスを乗り越えるんだ。楽しかったぜ。俺のやりたいことはバンドに入ってギターを弾くって事だったんだ。そして、今の俺がいる。 ? ミック・ジョーンズ[4] 彼は1970年代前半に自ら結成したグラム・ロック・バンド、ザ・デリンクェンツでギタリストと名を上げはじめる。やがてトニー・ジェイムスと出会い、プロト・パンク・バンド、ロンドンSSを結成する。1976年に解散し、残っていたメンバーのポール・シムノン、キース・レヴィンと次の目標を探し始める[5] 21歳の時に、彼とシムノンはシェパーズ・ブッシュの汚いスクワットでバーニー・ローズ
初期
ザ・クラッシュザ・クラッシュ時代 (1980年)詳細は「ザ・クラッシュ」を参照
2003年に他のメンバーと一緒に、ザ・クラッシュとしてロックの殿堂入りを果たした[7]。
ビッグ・オーディオ・ダイナマイト詳細は「ビッグ・オーディオ・ダイナマイト」を参照
クラッシュから追い出された後、ジョーンズはジェネラル・パブリックの創立メンバーとして短期間過ごした。バンドがデビューアルバムを出した時にはジョーンズは正式メンバーではなくなっていたが、アルバムの多くの曲でギターを弾いている。
ジェネラル・パブリックを離れ、1984年にビッグ・オーディオ・ダイナマイトを映画監督ドン・レッツと結成。レッツはクラッシュのヴィデオや、映画『ウェストウェイ・トゥ・ザ・ワールド
』を撮影した人物である。バンドのデビュー・アルバム『ディス・イズ・ビッグ・オーディオ・ダイナマイト』は翌年発表され、収録曲「E=MC2」はダンス・クラブでヘヴィー・ローテーションされた。そしてシングルカットされた「メディシン・ショー」と「E=MC2」の両方が全英ヒットチャートを賑わせた。2作目のアルバム『NO.10,アッピング・ストリート』でジョーンズは再びストラマーと手を組んだ。2人は協力して「ビヨンド・ザ・ペイル」、「V.サーティーン」、「サイトシーM.C.」等、数曲を制作。ストラマーはアルバムのコ・プロデューサーもつとめた。この再会も長くは続かず、この後しばらく2人が一緒に何かをすることは無かった。
3作目のアルバム『Tighten Up, Vol. 88』ではジャケットデザインをポール・シムノンが手がけた。このアルバム発表後まもなく、ジョーンズは肺炎で数か月入院することになる[8][9]。回復後、ジョーンズはビッグ・オーディオ・ダイナマイトでもう一枚のアルバム『メガトップ・フェニックス』を発表し、メンバーを入れ替える前にバンド名をビッグ・オーディオ・ダイナマイトIIと改名してアルバム『ザ・グローブ』を発表する。
1991年、ジョーンズはアズテック・カメラの「グッド・モーニング・ブリテン」にゲスト参加した。
バンドメンバーは1994年に一新され、“ビッグ・オーディオ”のバンド名でアルバム『ハイアー・パワー』を発表する。1995年にはスタジオ・アルバム『F-パンク』とベスト・アルバム『プラネット B.A.D.』を“ビッグ・オーディオ・ダイナマイト”の名で発表。1997年には『エンタリング・ア・ニュー・ライド』を録音したが、当時のレーベル、ラジオアクティヴの反対により、インターネット上のみでのリリースとなった。もう一枚のベスト・アルバム『スーパー・ヒッツ』は1999年にリリースされた。
最近の活動カーボン/シリコン時代 - 右奥トニー・ジェイムス (2008年2月)
2002年にロンドンSSの盟友で、ジェレーションX、ジグ・ジグ・スパトニックを経験したトニー・ジェイムスと新しいバンド、カーボン/シリコンを結成。彼等はイギリスをまわり、反ファシストのチャリティーコンサートを行った。また、オンラインで無料で入手可能の3枚のアルバム『A.T.O.M.』、『ウェスタン・フロント』、『ザ・クラックアップ・スイート』を録音した。最初の商業リリースは『ザ・ニュースEP』である。バンドは彼らの音楽をファンがP2Pで共有すること、および、彼らのショーを録音、録画することを認めた。彼らの最初の曲「MPFree」はP2Pへの賛歌である[10]。