ミッキー・ライト
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 ミッキー・ライト Mickey Wright
1965年撮影
基本情報
名前ミッキー・ライト
ニックネームミッキー
生年月日 (1935-02-14) 1935年2月14日
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンディエゴ
没年月日 (2020-02-17) 2020年2月17日(85歳没)
アメリカ合衆国フロリダ州[1]
身長175センチメートル (5.74 ft)
経歴
大学スタンフォード大学
(1年間在学)
プロ転向1954年
引退1969年
以前のツアーLPGAツアー(1955年加入)
プロ勝利数90勝
優勝数
LPGAツアー82勝(歴代2位)[1]
他ツアー8勝
LPGAメジャー選手権最高成績
(優勝: 13勝)
女子ウェスタン優勝: 1962年、1963年、1966年
タイトルホルダーズ優勝: 1961年、1962年
ANA66位タイ(1984年)
全米女子プロ優勝: 1958年、1960年、1961年、1963年
全米女子OP優勝: 1958年、1959年、1961年、1964年
受賞
世界ゴルフ殿堂1976年 ( ⇒member page)
LPGA賞金女王1961年、1962年、1963年、1964年
ベアトロフィー1960年、1961年、1962年、1963年、1964年
AP通信アスリート・
オブ・ザ・イヤー1963年、1964年
ボブ・ジョーンズ賞2010年
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メアリー・キャスリン・ライト(Mary Kathryn "Mickey" Wright、1935年2月14日 - 2020年2月17日[1])はアメリカ合衆国の元女子プロゴルファー。1955年に全米女子プロゴルフ協会(LPGA)のツアーメンバーとなり、通算82勝(うち13勝はメジャー大会での勝利)を挙げた。1976年世界ゴルフ殿堂入り[1]
経歴

カリフォルニア州サンディエゴ出身。1952年の全米女子ジュニア大会でアマチュア初優勝。ハーバートフーバー高校を卒業後スタンフォード大学に進学したがわずか1年で退学[2]。1954年の全米女子アマチュアでは決勝で敗れたが、同年の世界アマチュア選手権で優勝し、直後にプロ入りした。 1960年のライト

1955年からLPGAのツアーメンバー登録。引退まで82勝を挙げたが、これはキャシー・ウィットワースの88勝に次ぐ二番目の記録である[1]。またメジャー大会での13勝はパティー・バーグの15勝に次ぐ記録となっている。1961年から1964年まで4年連続で LPGA 賞金女王。また13回にわたり賞金ランキングトップ10入りを果たす。さらに14年連続で1年あたり最低でも1勝している。

1964年に第1回が行われたトールシティーオープン(英語版)で、ライトは3日目と4日目の二日にわたりいずれも62で回り、これは当時の LPGA の最少スコア記録となった[3]。ちなみに開催コース(テキサス州ミッドランドのホーガンパークゴルフ場)の男子の最少スコア記録は66だった。これは最終日に10打差を逆転してのものであり、LPGA のタイ記録となっている[4]

師匠はハリー・プレスラー。またベン・ホーガンは、これまで目にした中で最良のスイングであると評した[5][6]。このことから「女性版ベン・ホーガン」の異名を持つ[1]

1969年にフルタイムでゴルフをプレーすることから引退した。足にトラブルを抱えていたとされるが、その後も時折はツアー競技への参加を続けた。彼女は1958年から1966年にかけてメジャー大会に13勝したが、4つあるメジャータイトルの全部をある時点で保有していたことのある唯一の LPGA プレーヤーである。晩年はフロリダ州のポートセントルーシーに一人で住んでいた。1990年代後半に同じフロリダ州デイトナビーチで行われたタイトルホルダーズという大会に出場したのが最後だったが、練習場を歩いているほとんどすべてのプレーヤーが立ち止まって彼女のスイングに見入っていたという。彼女は乳がん復帰者でもある[7]

2000年に『ゴルフダイジェスト[注 1]の”greatest golfer” では女子選手として最高の9位にランクされ、また2009年にゴルフマガジン誌が行った同様の特集でも8位で、女子ではトップだった[9]

2020年2月17日、心臓発作のためフロリダ州内の病院で逝去。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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