ミゼットプロレス
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リングネームがジェアン・フェレだった頃のアンドレ・ザ・ジャイアントと並ぶミゼットレスラー(1973年)。

ミゼットプロレス(Midget Pro-wrestling)[1]は、低身長症が試合をするプロレス。通称「小人プロレス(こびとプロレス)」。闘う人をミゼットレスラーと呼ばれている。メキシコではミニエストレージャと呼ぶ。日本では全日本女子プロレス前座として行われていたのが有名。目次

1 概要

1.1 北米

1.2 日本

1.3 メキシコ


2 ミゼットプロレスの王座一覧

3 ミゼットレスラー一覧

4 備考

5 脚注

5.1 注釈

5.2 出典


6 外部リンク

概要
北米

女性のキャットファイトである「泥レスリング」、「オイルレスリング」、「ローションプール」と同じで格闘というより、笑いを取ることを目的としたショーとして興行が成り立っていた。特に小人症の人が見世物、あるいはテレビや映画などで、お笑い取りとして使われた長い歴史があるため、差別的として、北米では70年から80年にかけ衰退し、興行も下層階級の飲み場などの場所で、酒を飲む客の前で、滑稽なコスチュームをした小人のキャットファイトのようなものが殆どであった。しかし、1990年代にアメリカではメキシコの小人レスラーを採用すると共に、体格の小ささと軽量を利用して高いジャンプなど、ルチャリブレを前面に出す小人レスリングや格闘、流血を前面に出したハードコアミジェットレスリングが出現する中、一部のプロレスファンの間で、その人気は復活しつつある。
日本

日本においては1960年代前半に数回、日本プロレスと関わりのあったプロモーターが、アメリカのミゼットレスラーを招へいして「小人プロレス国際試合」もしくは「小人国プロレス大会」と称し、ミゼットプロレス中心の興行を独自で打った記録が残っている。その際には前座で日本プロレスの選手も出場した[2]

全日本女子プロレスが旗揚げされた際、ミゼットをメインとして行われ、女子プロレスが前座扱いとされていたがマッハ文朱がデビューして人気を得てからはメインは女子プロレスに移って行った[3]

コミカルな面が強く彼らを笑い物にしているとして一部の視聴者から非難があり、ザ・ドリフターズの番組や全日本女子のテレビ中継でもカットされるようになった[4]。ミゼットレスラー達は「自分達は笑われているのでは無い、笑わせているんだ」という自負を持っていた。実際に「自分の技に笑って1人くらい死ぬ人がいれば本望」と発言したミゼットレスラーもおり、記録に残っている[注釈 1][出典無効]。また、影かほるはミゼットプロレスについて「『見世物で何が悪いの。こいつらプロレスやって幸せなんだよ』って思っている。プロレスでカネを稼げて飲みにも行けるし、女も買える。最高に幸せなんだよって。かわいそうっていう考えを持った時点で、ボランティアの人たちは大きな差別をしてると思う」と私見を述べている[5]

かつては低身長症者は奇形の如く扱われ、就職などで差別されることも多かったことからミゼットプロレスは低身長症の者にとって生活の糧を得る重要な就職口の1つであった。試合がない時には、テレビ局などからの依頼を受けて、小型の着ぐるみを担当するスーツアクターの仕事もこなしていた。

身体的ダメージが蓄積されて身体障害を負うなど健康を害する選手も多く、リスクに見合った金銭的な評価も期待しづらいため、後継者難に悩まされている(全日本女子が経営難になる前は、秩父市に存在した全日本女子の施設の管理人と言う形で引退後の生活を保障されていたが現在は施設も存在しないため、引退後の保障も無いと言う厳しい状況となっている)。一時期は選手がミスター・ブッタマンしかいなくなり、試合が組めなくなったこともある。全日本女子解散直前にプリティ太田がデビューして久方ぶりに試合が組めるようになり、全日本女子解散後はメジャー女子プロレスAtoZに引き継がれるが、ミゼットレスラーが2人しかいない状況が現在まで続いているため、NEO女子プロレス、NEO解散後はREINA女子プロレスで女子レスラーと試合を組ませるようになり、ミゼットレスラー同士の試合は年1回あるかないかの状態である。
メキシコ詳細は「en:Mini-Estrella」を参照

メキシコのプロレス(ルチャリブレ)においては、「ミニエストレージャ」と称した大型レスラーのキャラクターを模した小柄なルチャドール(ルチャリブレのプロレスラー)が相当数いる。その大半はミゼットというより、若干小柄という程度の体格だが、中には明らかに小柄な選手もおり、大柄な選手ではできないようなトリッキーかつ素早い動きによって観客の目を引き付ける重要な役割を果たしている。また、リングネームに小さいの意味のあるCito(シート)やPequeno(ペケーニョ)を付ける場合が多い。中にはマスカリータ・サグラダなど本家を凌ぐ人気を誇る選手さえ存在する。一時期、日本のミゼットレスラーとメキシコのミニエストレージャによる対抗戦が行われたこともある(ただし、両者のファイトスタイルが違っていたので、噛み合ったとは言い難かった)。また、メキシコのミニエストレージャがDRAGON GATEに来日したこともある。
ミゼットプロレスの王座一覧

NWA世界ミゼット王座


UWF世界ミゼット王座

WCPW世界ミゼット王座

CMLL世界ミニエストラージャ王座

WWA世界ミニ王座

AAA世界ミニ王座

ペロス・デル・マール・ミニエストレージャ王座

ナショナルミニエストラージャ王座

WWWA世界ミゼット王座

WWWA世界ミゼットタッグ王座

ミゼットレスラー一覧

エナニート・フィリ


オクタゴンシート

東健三

天草海坊主

カウボーイ・ブラッドリー

カウボーイ・ラン

角掛留造(角掛仁、角掛ひとし、角掛X、グレート茅場、ミハイル角掛クソチビリ)

唐柔太

グアピート

クイヘ

クロード・ジロー(en:Claude Giroux (wrestler))

ジョージ岡部

スカイ・ロー・ロー(en:Sky Low Low)

スマイリー・キング

ソニーボーイ・カシディ

ダイナマイト・キング

ダイアモンド・リル(en:Katie Glass)

チャッキー

ツキ(en:Tzuki)

トム・サム

ハイチ・キッド(en:Raymond Kessler)

バウンシング・バーグ

隼大五郎(スモール・ブッチャー)

パンチト・ジミネス

ピーウィー・ジェイムス

ファーマー・ピート

ファーマー・ブルックス(en:Farmer Brooks)

ファジー・キューピット(en:Fuzzy Cupid)

ブラウン・パンサー

プリティ・アトム(ミゼット・イーグル、ジョージ小山)

プリティ太田(プチ・トマト、ミニマスター)

ブロック・パアンド

ホーンズワグル

マスカリータ・サグラダ(en:Mascarita Sagrada)

マスカリータ・ドラダ(en:Mascarita Dorada)

ミスター・ブッタマン(アブドーラ・ザ・コブッチャー、ブタ原人)

ミスター・ポーン

ラ・パルキータ

リトル・タイガー

リトル・トーキョー(en:Shigeri Akabane)

リトル・ビーバー(en:Lionel Giroux)

リトル・フランキー(グレート・リトルムタ)

リトル・ミスターT

ロード・リトルブルック(en:Eric Tovey)

ローン・イーグル

備考

概要の項に既述した事情から日本ではミゼットプロレスは試合中継などが難しい状況にあるが過去においてテレビに登場した事例はいくつかある。

1960年代前半に「国際試合」と称した興行が日本で行われた際には、フジテレビが下記のとおり、試合中継を放映していた。

1960年8月6日「小人国プロレス大会」(於:名古屋市金山体育館、ミゼットプロレスの「日本初の中継」と銘打たれている)


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