ミスマガジン
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ミスマガジン
Miss Magazine
受賞対象
グラビアアイドル
日本
主催講談社ミスマガジン選考事務局
週刊ヤングマガジン編集部内)
旧称ミスヤングマガジン
(1996年 - 2000年)
初回1982年
最新回2023年
初代受賞者伊藤麻衣子
(1982グランプリ)
最新受賞者今森茉耶(2023グランプリ)
公式サイトhttps://miss-maga.jp/

ミスマガジン(Miss Magazine)は、日本漫画雑誌週刊ヤングマガジン』『週刊少年マガジン』(講談社)で行われる、読者投稿形式のグラビアミス・コンテストである。

1982年から『少年マガジン』内で毎年1回行われ、数年間の中断を経た後、1996年に『ヤングマガジン』誌上で復活、2001年以降は両誌編集部の共催によって行われた。2011年度以降は休止していたが、2018年に復活[1]
歴史
20世紀

1982年(昭和57年)に講談社が発行する『週刊少年マガジン』のグラビアオーディション企画として写真家・野村誠一の全面協力を経て創設。第1回目のグランプリは伊藤麻衣子が受賞した。その後、年1回の開催が恒例化。その間に、斉藤由貴八木さおり吉田真里子細川ふみえといった有名アイドル女優歌手を輩出した。

9年間続いた後、一時中断したが、1996年(平成8年)に、主催を青年漫画誌の『週刊ヤングマガジン』に移し「ミスヤングマガジン」として復活。グランプリ1名と準グランプリ数名という選出方式に変更される。なお第1回ミスヤングマガジンのグランプリ受賞者は2名であった。(この間の)主な受賞者として、山田まりや浅田好未パイレーツ)、山川恵里佳杏さゆり、そして後に『恋のから騒ぎ』(日本テレビ系)14期MVPとなり、放送作家を経て参議院議員に転身した塩村文夏などを輩出した。グランプリ受賞者のうち、山田まりやと柴田あさみ川村亜紀は受賞年[注 1]フジテレビビジュアルクイーンにも選ばれている。
2000年代

2001年(平成13年)以降は『週刊少年マガジン』『週刊ヤングマガジン』両誌共催のミスコンテストに拡大。これに伴い、名称も「ミスマガジン」に戻し、受賞者もグランプリ、ミス少年マガジン、ミスヤングマガジン、審査員特別賞、読者特別賞と主要5部門で1人ずつ選出するようになった。同年からはTBS(東京放送、現・TBSホールディングス)も後援企業としてこのミスコンイベントに参加していた。2002年以降は前年12月(2007年度は前年11月[2])に募集開始[3]、3月下旬(または4月上旬)にエントリー者を発表、5月下旬(または6月上旬)のファイナリスト発表を経て7月上旬にグランプリおよび各賞が発表され、都内でお披露目イベントが行われるのが恒例となっていた。

2003年以降から、グランプリ受賞者はTBSテレビ音楽番組開運音楽堂』(土曜早朝放送、関東ローカル)のアシスタントMCとしてレギュラー出演が与えられ、この番組でTV初レギュラーをまず一年間経験するパターンが定番化していた。また、ミスマガジン2003メンバーで2004年8月に、BMGファンハウス(現:ソニー・ミュージックレーベルズ アリオラジャパンレーベル)からCD「ユウキ」(「バーチャファイター サイバージェネレーション」主題歌)も発売された。

2005年は、審査員としてプロデューサーのつんく♂が加わり、主要5部門のほかに「つんく♂賞」が設けられ、時東ぁみが受賞(このためファイナリストの数は例年より1名多い6名だった)している。つんく♂は2006年以降も審査員としてセミファイナルで全出場者に対するコメントを発表していたが、その後はつんく♂賞該当者なしの状態が続き、2008年度を最後に撤退している。

「フットサル」「GyaO賞」は、ファイナルに残れなかった応募者の中から選出されていたが、野口綾子七海れんといったコンテスト未出場者がフットサル賞に選出されるケースもあった。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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