ミシュランガイド
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ミシュランガイド(: the Michelin Guide、: le Guide Michelin、フランス語発音: [gid mi?l?̃] ギッド・ミシュラン[1])は、フランスミシュランにより出版される、さまざまなガイドブックの総称である。社名と同じ「ミシュラン」とも呼ばれる。
概要

代表的なものは、レストランの評価を星の数で表すレストランホテルガイドである。これは装丁が赤色であることからレッド・ミシュラン(: Red Guide、: le Guide Rouge ギッド・ルージュ[1])とも通称されている。日米欧各国にさまざまな地域版があり、合計で年間約100万部が販売されている[2]。近年ヨーロッパにおける本書の影響力は低下しており、代わってアメリカ合衆国日本といった新市場に積極的に展開している[2]

レッド・ミシュランは、一度発売したら、戦争時などを除いて半永久的に毎年改訂版を出す方針だったが、最近の日本版のみ発売されている特別版は毎年の継続調査をしていない。これは、本来のミシュランガイドの「毎年改定」の方針とは異なるものである。

基本的には県、市などの地方自治体が、スポンサーになっている。

ミシュランガイドとしては他に、緑色を基調とした装丁からグリーン・ミシュラン(: Green Guide、: le Guide Vert ギッド・ヴェール[1])とも呼ばれる旅行ガイドブックや、自動車旅行向けの道路地図などがある。
歴史
始まり
パリ万博が行われた1900年自動車運転者向けのガイドブックとしてフランスで発行されたのが始まりである。内容は、郵便局電話の位置まで示した市街地図のほか、都市別のガソリンスタンドやホテルの一覧、さらには自動車の整備方法などである。これは3万5,000部が印刷されて無料で配布された。発行者であるミシュラン社はタイヤ会社であり、これにより自動車旅行が活発化し、タイヤの売れ行きが上がることが目論みだったといわれる。「ガイドはタイヤのため」「ガイドはミシュランにとって、ブランド名を売り込むため、タイヤ事業を発展させるために存在する」との原則は現在も引き継がれており、ミシュランの2010年第1四半期の売上高に占めるレストランガイドや旅行ガイドなどの出版物が占める割合は約1%とされる[3]
1900年代
第一次世界大戦に伴い1915年から1918年まで出版が中断したものの、終戦後には旅行ガイドブックのシリーズとして『古戦場案内』も刊行された。このころ、ある修理工場を訪ねた際に傾いた作業台の足代わりとしてミシュランガイドが地面に積み重ねられているのを見かけて、「人間は金を払って買ったものしか大切にしない」と考えたミシュラン社のミシュラン兄弟はそれまでの無償配布を中止、1920年からは有償での販売となった[4]1926年には料理を提供するホテルを星で格付けする方式が開始された[4]。星の数は当初の1つ星のみから、2つ星までとなり、3つ星方式は1931年に最初に導入され、1933年からパリ版でも用いられるようになった。またこのころ、ミシュラン社員が匿名で施設の調査を行うようになった[4]第二次世界大戦に伴う1940年からの出版中断を経て、1945年に登場した改訂版では戦争で破壊されたレストラン・ホテルが点線で示された。星による格付けの再開は1950年版からである。1956年、初めてのフランス国外版として「北イタリア」版ガイドが創刊され、ベネルクス版、スペイン版が続いた。
2000年代以降
2004年、第6代総責任者にジャン=リュック・ナレ(英語版)が就任して拡大路線を推進[3]2005年には、初めてヨーロッパ以外を対象とした「ニューヨーク・シティ」版が登場、3つ星レストランがわずか4軒、しかもすべてがフランス人シェフの店だったことで物議を醸した。その後アメリカ合衆国では、「ラスベガス」「ロサンゼルス」「サンフランシスコとベイエリア」の各版が続けざまに加わった。2007年には欧米以外では初となる東京版(2011年版からは東京・横浜鎌倉[5])が、2008年には香港マカオ版が[6]2009年には京都大阪版(2011年版からは京都・大阪・神戸[7])が、2010年11月にはシカゴ版が刊行された[8][9][10]。なお、この拡大路線を推進したジャン=リュック・ナレは2010年いっぱいで退任し、後任の選定は遅れ、2011年8月にミシュランの2輪タイヤ販売部門の副社長だったニューヨーク生まれのアメリカ人、マイケル・エリス(Michael L. Ellis)が就任した[11]。2018年、マイケル・エリス(Michael L. Ellis)も、ミシュランを退社した。レストランが星を1つ獲得するとその店の売り上げは30%増え、ある国でミシュランガイドが刊行されると、その国でミシュランタイヤを買おうと思う人が3%増えるといわれる。
赤字によりオンライン化へ
オンライン化の波に乗り遅れたガイド・地図事業自体は、毎年1,500万ユーロの赤字となっている[12][13]。2010年にアクセンチュアがコンサルティングを行い、このままでは2015年には年間の赤字が1,900万ユーロ、2011年から4年間の累積で8,000万ユーロになるとし「廃刊」を含む3つのシナリオが提示されたとされる。ガイド・地図部門はデジタル・トラベル・アシスト部門と統合され、これに伴いパリ中心部7区にあったガイド・地図部門も、パリ郊外ブローニュ=ビヤンクールにあるデジタル・トラベル・アシスト部門のオフィスに引っ越した[12][13]
各国販の動向
2011年版は、23か国をカバーする26種類のコレクションとなっている[5]。他方、オーストリア版は売れ行き不振から廃刊、2010年版以降ラスベガス、ロサンゼルス版は経済的事情により休刊となっている[8][14]。フランス版の累計発行部数は、2004年版までで3,000万部を突破した[15]。また、世界の90か国を超える国で毎年約1,000万部の地図、旅行ガイド、レストラン・ホテルガイドを発行しており、ミシュランガイドは2008年全世界で120万部以上[16]、2009年は100万部以上販売された[5]
レストラン・ホテルガイド

これはミシュランガイドの中で代表的なものであり、レストランとホテルを評価・案内している。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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