ミシェル テメル
Michel Temer
ブラジル連邦共和国
第37代 大統領
任期2016年8月31日 – 2018年12月31日
副大統領不在
ブラジル連邦共和国
第24代 副大統領
任期2011年1月1日 – 2016年8月31日
元首ジルマ・ルセフ
ブラジル連邦共和国
代議院議長
任期2009年2月2日 – 2010年12月17日
ブラジル民主運動党
党首
任期2001年9月9日 – 2016年4月5日
出生 (1940-09-23) 1940年9月23日(83歳)
ブラジル サンパウロ州ティエテ
政党ブラジル民主運動党
配偶者Marcela Tedeschi
署名
ミシェル・ミゲル・エリアス・テメル・ルリア(葡: Michel Miguel Elias Temer Lulia ブラジルポルトガル語発音: [mi???w mi???w e?li?s ?teme? lu?li?]、1940年9月23日 - )は、ブラジルの政治家、法律家、作家であり、同国の第37代大統領を2016年8月31日から2018年12月31日まで務めた。
前大統領ジルマ・ルセフの弾劾裁判および罷免を受けて、2011年より副大統領であった彼が就任した。ルセフが弾劾裁判で職務停止になった2016年5月12日から、テメルは大統領代行を務めていた[1]。75歳での就任は、同国最年長の大統領である。
ルセフ大統領を解任する2016年8月31日の上院評決(61対20)で彼女の後をテメルが継ぐことになり、彼女の残り任期2年を務めあげた。就任最初のスピーチで、テメルは「国民救済」政府を提唱してブラジル国民の信頼を求めた[2]。彼はまた年金制度と労働法を全面的に見直し、公共支出を抑制する意向を示した[3]。
2017年の世論調査ではテメル政権支持が7%に留まり、回答者の76%がテメル辞任を支持していることが示された[4]。辞任を求める声が大きいもかかわらず、テメルは辞任を拒否した[5]。2018年の選挙でテメルは大統領に立候補せず2018年12月31日で退任、翌2019年1月1日にブラジル大統領はジャイール・ボルソナーロへと引き継がれた。
その後2019年3月21日、テメルはオペレーション・カー・ウォッシュの調査中に逮捕された[6]。3月25日、テメルの代理として控訴審裁判官により人身保護令状が発行された[7]。 サンパウロ州ティエテに生まれたテメルは、1925年にブラジルに来たマロン典礼カトリック教会のレバノン移民ナホール・ミゲル・エリアス・テメル・ルリアとマーチ・バーバル・ルリアの息子である[8][9]。彼の両親は第一次世界大戦による飢餓や政情不安から逃れるため、レバノン北部の小さな村 (Abadiyeh
生い立ちと学生時代
テメルは幼少期にピアニストになることを夢見ていたが、彼の町にはピアノ講師がいなかった[12]。ティーンエイジャーの頃に、彼は作家を志望した[13]。高校1年生の時に化学と物理学の授業についていけず、彼は理数系の「学者コース」を諦めた。1957年、彼はサンパウロに引っ越すと人文学と語学が主要構成の文系「学者コース」で高校を卒業した。
1959年に彼はサンパウロ大学法学科に入学し、1963年に卒業した[14]。入学初年度に同校の学生自治会の会計係になったことで、彼は政治と関わるようになった。1962年にテメルは自治会長に立候補したが、82票で敗れた[14]。
テメルは1964年にクーデター (1964 Brazilian coup d'etat) が起こるまで中立を保っていた[13]。軍事独裁政権の始まりで、彼は政治から離れた。1974年、彼はサンパウロ・カトリック大学(PUC-SP)で公法の博士号を修めた。
学問上の経歴「司法功労章」を受け取ったテメル
1968年、テメルはPUC-SPで憲法を教えるようになり、そこでは民法を教えたほか大学院部門およびブラジル憲法研究所の所長であり、イベロアメリカ憲法研究所のメンバーでもあった。 テメルは憲法に関して主な著作を4冊出版している。 最も有名な彼の著書は1982年に出版された『Elements of Constitutional Law(憲法の要素)』で、24万部以上を売り上げた[15]。この本はブラジルの国家組織、特に権力分立に焦点を当てている。 2006年の著書『Democracy and Citizenship(民主主義と市民権)』は法律の妥当性を強調し、連邦議会下院 (ブラジル)時代の彼の一部発言が収められている。著作にて彼は議院内閣制と政治的リコール方式の支持者であることを示した一方、経済的介入主義や増税には反対した[16]。 ところで、彼が自分を作家だと見なしていたのは2013年の詩集 『Anonymous Intimacy(名もなき情愛)』を出版した時だけである。これには120の詩が収められており、その多くはサンパウロとブラジリア間の飛行機移動中にナプキンに書かれたものである[16]。詩を書くことが「立法政治という不毛な活動場所」から自我を取り戻す手助けになった、とテメルは語っている[17]。 1987年以降、テメルは下院で6連続任期を務め[18]、2年間の下院議長を3度(1997-1998、1999-2000、2009-2010)にわたって務めた[8]。テメルはまた、現在のブラジル憲法を公布した1988年の憲法制定議会 (1988 Constituent Assembly
著作物
政治経歴立法権における彼の影響力を示す立法功労章を掛けたミシェル・テメル