ミサ曲第6番 変ホ長調 D950は、フランツ・シューベルトが作曲したミサ曲。シューベルトのミサ曲としては最後の作品であり[1]、ミサ・ソレムニスに分類される[2]。
概要フランツ・シューベルト、フランツ・アイブル画、1827年
楽譜に出てくる最も古い日付は1828年6月であるが、シューベルトがこれよりも早くからスケッチを始めていたことを示す証拠がある[3]。曲は7月までに完成された[4]。ウィーン、アルザーグルント(英語版)にあるアルザー教会(ドイツ語版)の合唱指揮者であったミヒャエル・ライターマイヤーの委嘱、もしくは依頼に応える形で作曲された[3]。シューベルトの生前には曲が演奏されることはなく、1829年の10月4日にアルザー教会で初演された。初演の指揮はフェルディナント・シューベルトが行い、続く1829年11月15日のウルリヒ教会での再演も彼が振った[3][5]。
本作にはベートーヴェンの影響が感じられるが[6]、それはとりわけ「野心的なベートーヴェン的構成」に顕著である[7]。シューベルトはアルザー教会で営まれたベートーヴェンの葬儀でたいまつ持ちを務めていた[3]。「グローリア」と「アニュス・デイ」にフーガが置かれているところにはバッハ、並びにモーツァルトの『レクイエム』やハイドンの『ハイリッヒ・ミサ』を参考にしたことが窺われる[8]。
この作品と前作ミサ曲第5番はシューベルトの「後期ミサ曲」と看做されている[9]。この2作は「語句を音楽的に解釈しようとする姿勢」においてこれまでの4作とは一線を画している[10]。シューベルトは技術力と和声に関する知識の総体的な円熟の利点を活用し始めており、宗教音楽と世俗音楽の両方を作曲してきた経験と合わせ、標準的な典礼文にそれ以上の意味合いを付加している。これまでの楽曲でもテクストから一部の節を省略することが知られていたが、シューベルトは後期ミサ曲においてさらに進んだ自由さを見せており、「意味するもののある特定の側面に関する表現を深める、もしくは強化する」目的でテクストを足したり引いたりしている[11]。