ミゲール・コット
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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はコット、第二姓(母方の)はバスケスです。(Template:スペイン語圏の姓名

ミゲール・コット2010年6月、ヤンキー・スタジアムでインタビューを受けるコット
基本情報
本名ミゲール・アンヘル・コット・バスケス
Miguel Angel Cotto Vazquez
通称Junito
階級スーパーウェルター級
身長170cm
リーチ170cm
国籍 プエルトリコ
誕生日 (1980-10-29) 1980年10月29日(41歳)
出身地ロードアイランド州プロビデンス
スタイルオーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数47
勝ち41
KO勝ち33
敗け6
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獲得メダル
プエルトリコ
男子 ボクシング
中央アメリカ・カリブ海大会
銀1998 マラカイボライト級

ミゲール・コット(Miguel Cotto、1980年10月29日 - )は、プエルトリコの元プロボクサープロビデンス出身。元WBO世界スーパーライト級王者。元WBA世界ウェルター級王者。元WBO世界ウェルター級王者。元WBA世界スーパーウェルター級スーパー王者。元WBC世界ミドル級王者。元WBO世界スーパーウェルター級王者。プエルトリコ人初の4階級制覇王者。自身でプロモーターとしてプロモシオネス・ミゲール・コットを主催している。目次

1 来歴

1.1 アマチュア時代

1.2 プロ時代


2 戦績

3 獲得タイトル

4 ペイ・パー・ビュー売上げ

5 脚注

6 関連項目

7 外部リンク

来歴

幼少時代は肥満児でダイエットが目的で11歳でボクシングを始める。トレーナーは長年、叔父のエバンゲリスタ・コットがついていたが喧嘩が絶えなくなり決別、2010年6月のユーリ・フォアマン戦からエマニュエル・スチュワートがつくが2戦のみでペドロ・ディアスに変わり、2013年10月のデルビン・ロドリゲス戦からはフレディ・ローチがついている。兄のホセ・ミゲール・コットと父親のコット・シニアもアシスタントトレーナーとしてコーナーについている。
アマチュア時代

1998年アルゼンチンブエノスアイレスでの世界ユース選手権ウェルター級準優勝。

1999年ヒューストンで開催された1999年世界ボクシング選手権大会にライトウェルター級(63.5kg)で出場するが1回戦で敗退した[1]

2000年プエルトリコ代表としてシドニーオリンピックライトウェルター級(64kg)で出場し、1回戦でモハメド・アブドゥラエフに敗北した。
プロ時代

2001年2月3日、アメリカ合衆国テキサス州でプロデビュー。

2004年9月11日、プエルトリコでケルソン・ピント(ブラジル)とWBO世界スーパーライト級王座決定戦で対戦し6回TKO勝ちで王座獲得に成功した。

2004年12月11日、ネバダ州ランドール・ベイリー(アメリカ)を6回TKO勝ちで初防衛に防衛した。

2004年12月21日、プエルトリコ・ボクシング・コミッションがミゲール・コットを2004年度のMVPに選んだと発表。

2005年6月11日、ニューヨークマディソン・スクエア・ガーデンでシドニーオリンピックで敗れたモハメド・アブドゥラエフ(ウズベキスタン)と対戦し、8回TKO勝ちで3度目の防衛に成功した。

2005年9月24日、ニュージャージー州リカルド・トーレス(コロンビア)と対戦し、ダウンの応酬がある壮絶な打撃戦となったが7回KO勝ちで4度目の防衛に成功した。

2006年1月23日、プエルトリコ・ボクシング・コミッションがミゲール・コットを2005年度のMVPに選んだと発表。

2006年6月10日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで元IBF世界スーパーライト級王者ポール・マリナッジ(アメリカ)に3-0の判定勝ちで6度目の防衛に成功した。

2006年12月2日、ニュージャージー州でWBA世界ウェルター級王座決定戦でWBA同級2位のカルロス・キンタナ(プエルトリコ)と対戦し、5回終了TKO勝ちで王座獲得に成功した。

2007年6月9日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでWBA世界ウェルター級4位のザブ・ジュダー(アメリカ)と対戦し、2度のダウンを奪い11回TKO勝ちで2度目の防衛に成功した。

2007年11月10日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで3階級を制したWBA世界ウェルター級7位のシェーン・モズリー(アメリカ)と対戦し3-0の判定勝ちで3度目の防衛に成功した。

2008年4月12日、ニュージャージー州でWBA世界ウェルター級9位のアルフォンソ・ゴメス(メキシコ)と対戦。3度のダウンを奪い、5回終了時TKO勝ちで4度目の防衛に成功した。

2008年7月26日、ネバダ州MGMグランド・ガーデン・アリーナアントニオ・マルガリート(メキシコ)と対戦し、プロ初黒星となる11回2分5秒TKO負けを喫しWBA世界ウェルター級王座の5度目の防衛に失敗、王座から陥落した。この試合のキャッチコピーは「ザ・バトル」。

2009年2月21日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンでマイケル・ジェニングス(イングランド)とWBO世界ウェルター級王座決定戦を行い、5回TKO勝ちを収め王座返り咲きに成功した。

2009年6月13日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンで元IBF世界ウェルター級王者ジョシュア・クロッティ(ガーナ)と対戦し、2-1の判定勝ちで初防衛に成功した[2]

2009年11月14日、ネバダ州のMGMグランド・ガーデン・アリーナで「ファイヤー・パワー」のキャッチフレーズが付いたマニー・パッキャオ(フィリピン)と対戦し、12回TKO負けで2度目の防衛に失敗し王座から陥落した[3]

2010年6月5日、ニューヨークのヤンキー・スタジアムで「スタジアム・スラグファスト(スタジアムでの乱打戦)」のキャッチフレーズの試合で、3階級制覇を目指しWBA世界スーパーウェルター級王者ユーリ・フォアマン(イスラエル)と対戦し、9回TKO勝ちで王座獲得。フォアマンに初黒星を付けるとともに、3階級制覇に成功した[4]

2010年9月10日、スーパー王座認定を受け、スーパー王者になった。

2011年3月12日、ネバダ州のMGMグランド・ガーデン・アリーナで「リレントレス(冷酷な一戦)」のキャッチフレーズになった試合で、元2階級制覇王者でWBA世界スーパーウェルター級6位のリカルド・マヨルガ(ニカラグア)と対戦し、12回TKO勝ちを収め初防衛に成功した[5]


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