ミゲル・トレビーニョ・モラレス
Miguel Trevino Morales
生誕 (1970-11-18) 1970年11月18日(53歳)
メキシコ
タマウリパス州ヌエボ・ラレド
現況逮捕
国籍 メキシコ
別名Z-40(ゼータ40)
L-40
ラ・モラ
エル・クアレンタ
デビッド・エストラーダ-コラド
コマンダンテ・クアレンタ
民族メキシコ人
市民権 メキシコ
職業麻薬密売人
雇用者ロス・セタス
団体ロス・セタス
身長5フィート8インチ
(173cm)
肩書き最高幹部
前任者エリベルト・ラスカーノ
後任者オマール・トレビーニョ・モラレス
敵対者メキシコ軍
メキシコ警察
ガルフ・カルテル
罪名殺人、拷問、誘拐、密輸、資金洗浄など[1]
犯罪者現況逮捕済み
連邦社会再適応センターNo.17に収監中
配偶者フアニータ・デル・カルメン・リオス・エルナンデス
親ロドルフォ・トレビーニョ(父親)
マリア・アルセリア・モラレス(母親)
親戚ホセ・トレビーニョ・モラレス(兄)
アナ・イザベル・トレビーニョ・モラレス(姉)
オマール・トレビーニョ・モラレス(弟)
フアン・フランシスコ・トレビーニョ・モラレス(弟)
フアン・フランシスコ・トレビーニョ・チャベス(甥)
イスマエル・ブライアン・トレビーニョ(通称:エル・ゴルド/甥)
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ミゲル・アンヘル・トレビーニョ・モラレス(スペイン語: Miguel Angel Trevino Morales、別名: Z-40、1970年11月18日 - )は、メキシコの麻薬カルテル「ロス・セタス」の最高幹部[2]。
10代の頃からガルフ・カルテルに雇われ、一時はアメリカのテキサス州を拠点に活動する。ロス・セタスの一員となった際、セタスの創設者らと違い軍隊経験を有していなかったが、流暢な英語を話せることと若者らをプロの暗殺者に仕立てる手腕が買われ、創設時より幹部の地位を得た。
2012年10月、メキシコ北部コアウイラ州でメキシコ軍との銃撃戦で死亡したエリベルト・ラスカーノの後継として、ロス・セタスの最高幹部に就任[3]。誘拐した不法移民250人以上の処刑を命令したこと[1]、麻薬密輸や資金洗浄などの罪に問われ、アメリカ国務省が500万ドル(約5億円)の懸賞金をかけて行方を追っていた[4][5]。
2013年7月15日早朝、ピックアップトラックでタマウリパス州ヌエボ・ラレドを移動中、メキシコ海軍によって逮捕された[2][6][7]。後継には、アメリカ国内で資金洗浄に従事し、同じく指名手配されている弟のオマール・トレビーニョ・モラレス(別名: Z-42)が就く可能性が高いとされている[2]。 ミゲル・アンヘル・トレビーニョ・モラレスは、1970年11月18日にメキシコ合衆国タマウリパス州ヌエボ・ラレドにて生まれた[8]。 ミゲルの父親ロドルフォ・トレビーニョと母親マリア・アルセリア・モラレスは、ミゲルを含む6人の娘と7人の息子を儲け、15人の大家族であった。ミゲル・トレビーニョ・モラレスの兄弟には、フアン・フランシスコ (1955年)、アルセリア (1957年)、イルマ (1959年)、アリシア (1961年)、ロドルフォ (1963年)、マリア・グアダルーペ (1964 年)、ホセ (1966年)、アナ・イザベル (1968年)、ヘスス(1970年)、オスカー・オマル(1976年)、クリスティーナ(1978年)、アドルフォ(1980年)が居た。 アメリカとメキシコの国境沿いの多くの家族と同様にトレビーニョ一家はメキシコからアメリカへ、またはその逆に旅行し、そこで不動産を購入し、いくつかのビジネスを展開していた[9]。 トレビーニョ・モラレスはヌエボ・ラレドの下層階級の地域で育ったものの、10代の頃は富裕層のために庭を直したり、車を洗ったりして働いた。彼はまた、後に彼の指導者となるガルフ・カルテルのリーダーで麻薬王と呼ばれているエクトル・マヌエル・サウセダ・ガンボア
幼少期
トレビーニョ・モラレスはメキシコの階級格差を嫌って育ち、大人になってからの暴力行為の一部を説明できるほどの憤りを募らせていた。
トレビーニョ・モラレスは家族とともにアメリカ合衆国テキサス州ダラスを頻繁に訪れた。 そして1993年にトレビーニョ・モラレスはカーチェイスで地元警察から逃れようとして路上で行き止まりになった後、ダラス郡で地元警察に逮捕され、警察の逮捕を回避した罪で起訴された。彼は672ドルの罰金を支払い、その後、郡刑務所から釈放された。トレビーニョ・モラレスのダラスでの生活についてはほとんど詳細が知られていない。アメリカの麻薬取締局は、彼がテキサス州に住んでいる間に「権力、お金、武器、そして違法薬物の広大な消費市場」について学んだと推測している。
麻薬取締局はまた、彼がアメリカ人の思想、特に彼のようなメキシコ移民に対する反メキシコ的偏見を認識していたと推測している。しかし、トレビーニョ・モラレスは、周辺地域に多くの家族ネットワークが存在するため、ダラスを自分の故郷と主張している。
アメリカの捜査当局によると、トレビーニョ・モラレスが最後にアメリカに不法入国した2005年にダラス地域で目撃され、そこで家族を訪ね、ストリップクラブにも姿を現したとされている。 トレビーニョ・モラレスは10代の頃、故郷のヌエボ・ラレドで犯罪活動を行っていたギャングであるロス・テハスに加入し、活動を開始した。 トレビーニョ・モラレスは、ヌエボ・ラレドでの洗車、自動車部品の窃盗から、小規模な麻薬密売や密輸を皮切りに麻薬取引に目を向けた[11]。
犯罪と昇級
犯罪の道