ミゲル・カブレラ
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ミゲル・カブレラ
Miguel Cabrera2019年4月30日
基本情報
国籍 ベネズエラ
出身地アラグア州マラカイ
生年月日 (1983-04-18) 1983年4月18日(41歳)
身長
体重6' 4" =約193 cm
249 lb =約112.9 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション三塁手一塁手左翼手右翼手
プロ入り1999年
初出場2003年6月20日
最終出場2023年10月1日
年俸$32,000,000(2023年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


フロリダ・マーリンズ (2003 - 2007)

デトロイト・タイガース (2008 - 2023)

国際大会
代表チーム ベネズエラ
WBC2006年2009年2013年2017年2023年
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■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

ホセ・ミゲル・カブレラ・トーレス(Jose Miguel Cabrera Torres[注 1], 1983年4月18日 - )は、ベネズエラ共和国アラグア州マラカイ出身の元プロ野球選手内野手外野手)。愛称はミギー(Miggy)[4]

MLBにおける最高の打者の1人で、MLB45年ぶりの打撃三冠王達成者。ベネズエラ出身MLB選手最多通算安打記録保持者[5]。ベネズエラ出身選手初の3000安打達成者。
経歴
プロ入り前

1983年4月18日、ベネズエラのアラグア州マラカイで誕生した。父は元野球選手、母はソフトボールのベネズエラ代表、おじは元マイナーリーガーという野球一家だった[6]。カブレラも野球をするようになり、10代半ばにはMLBのスカウトに注目される存在となっていた。14歳時にはMLB5球団がカブレラのスカウトを始めていたという[7]
プロ入りとマーリンズ時代

1999年に契約解禁年齢となったカブレラは、7月にベネズエラの選手としては当時の最高額の契約金180万ドルでフロリダ・マーリンズと契約[6]ニューヨーク・ヤンキースロサンゼルス・ドジャースはマーリンズを上回る200万ドルを提示したが、これを蹴ったのは、カブレラが1997年のワールドシリーズを観戦した時に中南米系選手が活躍したマーリンズのファンになっていたことと、「マーリンズは中南米系若手選手の育成に優れている」とカブレラの父が判断したことが原因である[8]。また本人によれば「野球で芽が出ないまま引退した際には大学進学を認め学費も球団が負担する」という条件を契約に盛り込んだのがマーリンズだけだったことや、ヤンキースやドジャースよりマーリンズの方が選手層が薄くメジャー昇格が近いことも大きかった[7]

2000年、ルーキーリーグでプロとしてのキャリアをスタートさせた。この時の守備位置は遊撃手だった。

2001年にA級へ昇格すると三塁手もこなすようになる。

2003年にAA級へ昇格すると左翼手にも回るようになった。

2003年AA級で打率.365を残し、6月20日にAAA級に出場することなく"飛び級" でメジャーに昇格した。マーリンズ時代(2007年)

2003年6月20日のタンパベイ・デビルレイズ戦に「8番・左翼手」で先発出場し、球団史上2番目の若さとなる20歳63日でメジャーデビューを果たした[9]。また、延長11回にサヨナラ本塁打を放ち、デビュー戦でサヨナラ本塁打を放ったのはMLB史上3人目であった[9]。その後は、左打者のトッド・ホランズワースと併用という形ながらメジャーに定着し、打率.268、12本塁打、62打点出塁率.325という成績を残した。本塁打と打点は新人選手としてナショナルリーグ2位、長打率.468は同1位だった[9]ポストシーズンにも出場したカブレラは、マーク・プライアーロジャー・クレメンスなどMLB屈指の投手から次々と本塁打を放つなど活躍。チームはワールドシリーズでヤンキースを下し、1997年以来2回目のワールドチャンピオンとなった。シーズンオフに行われた新人王の投票では5位に入った。

2004年は左翼のレギュラーとして160試合に出場し、打率.294、33本塁打、112打点、出塁率.366を記録した。21歳でのシーズン100打点達成は史上5番目の若さだった[10]オールスターゲームにも初選出された他、シーズンオフの日米野球にも参加した。

2005年は158試合に出場し、打率.323とリーグ3位の高打率を記録し、自身初となる3割・30本塁打・100打点を達成した。また出塁率.385を記録し、塁打数344は球団新記録となり、長打力が増した[11]。シーズンオフには自身初となるシルバースラッガー賞を受賞し、MVPの投票では5位に入った。

2006年はシーズン開幕前の3月に開催された第1回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ベネズエラ代表に選出された[12]


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