ミクロイドS
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『ミクロイドS』(ミクロイドエス)は、1973年に発表された手塚治虫原作の日本メディアミックス作品。漫画の連載とテレビアニメの放送が同時期に行われた。.mw-parser-output .toclimit-2 .toclevel-1 ul,.mw-parser-output .toclimit-3 .toclevel-2 ul,.mw-parser-output .toclimit-4 .toclevel-3 ul,.mw-parser-output .toclimit-5 .toclevel-4 ul,.mw-parser-output .toclimit-6 .toclevel-5 ul,.mw-parser-output .toclimit-7 .toclevel-6 ul{display:none}
概要

企画の発端は、プロデューサーである旗野義文[注釈 1]が「昆虫を使って地球の環境問題とかを作品としてやりたい」と、企画書をまとめあげて手塚治虫の元に持ち込んだことに始まる[1]。手塚は基本設定や原案を構想し、それを元にTVアニメが制作されるとともに、手塚自身の手による漫画版が『週刊少年チャンピオン』(秋田書店)に連載された[注釈 2]。これは前番組である永井豪・原作による『デビルマン』と同様の製作スタイルであり、漫画版とアニメ版はどちらかを元にしているといった関係ではなく、「おおまかに共通した基本設定で描かれた、発表媒体の異なる2つの作品」といえる。このためアニメ版は漫画より幅広い年齢層のテレビ視聴者を対象として、活劇を主体とした一話完結のヒーローものとなっており、全話の脚本を担当した辻真先がオリジナルストーリーを展開した。制作局であるNETでの放送枠は、圧倒的な高視聴率を誇るオバケ番組だった『8時だョ!全員集合』の裏にあたり、特撮ヒーロー番組『人造人間キカイダー』とともに、その牙城を突き崩すことが目標だった『デビルマン』の後を[3][4]、『キカイダー01』とともに引き継いだ本作ではあったが[注釈 3]、やはり視聴率的には苦戦を強いられたという(手塚は「時間帯のせいで悪かった視聴率が再放送では一転、高視聴率になって東映も私も驚いた」と語っている)[2]

一方『デビルマン』同様に、漫画版は独自の展開を見せるようになる[注釈 4]。連載開始当初は、手塚が提案した『ミクロイド』にアニメ製作会社である東映が『Z』を付けたため、『ミクロイドZ』というタイトルが使用されていた[注釈 5]。しかし、アニメ版のスポンサーがセイコー(当時:服部時計店)に決まると、「Z」はライバル企業のシチズン時計株式会社(CITIZEN)を連想させるという理由から[5][6]、セイコー (SEIKO) の「S」に変更され[1][5][注釈 5][注釈 6](この時点でTVアニメ版の方も『ミクロイドZ』のタイトルでのオープニングがすでに完成していたが、変更を余儀なくされている[8])、『週刊少年チャンピオン』誌の連載漫画もこれに合わせてタイトルが途中で変更となった[注釈 7]

作品が発表された1973年の日本は『日本沈没』や『ノストラダムスの大予言』がベストセラーになり、オイルショックや公害問題・不況などといった社会不安が蔓延するなど、世相に終末ムードが漂っていた[9]。さらに当時の手塚治虫は虫プロ虫プロ商事の倒産などで苦しい状態にあったためか、作品のムードは暗く沈鬱になり[5]、世紀末黙示録的な世界が描かれていった[4]。また、アニメ版同様に作品内には人類による環境汚染や行き過ぎた科学文明への批判が見られるものの[注釈 8]、漫画版はよりパニックもの・ディザスターものとしての性格が強く、物語終盤にはほとんど主役の3人は登場せず、虫の襲撃に翻弄され死屍累々の街を逃げまどう人々の姿が、ひたすらハードかつペシミスティックに描かれている。

なお、手塚は『手塚治虫漫画全集185 ミクロイドS』第3巻のあとがきにて本作の執筆を振り返って、「テレビものは自由奔放な展開ができず、あまり(気分が)のらない」「たとえ原作者であっても描きにくい」「この漫画でプラスした点は、わが俗物教師ノラキュラ先生をデビューさせたことくらいでしょう。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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