ミカエル・ジャン
[Wikipedia|▼Menu]

ミカエル・ジャンMichaelle Jean
ミカエル・ジャン(2007年7月)
生年月日 (1957-09-06) 1957年9月6日(66歳)
出生地 ハイチポルトープランス
出身校モントリオール大学
フィレンツェ大学
ペルージャ大学
サクロ・クオーレ・カトリック大学
前職ジャーナリスト
配偶者ジャン=ダニエル・ラフォン
サイン
第27代カナダ総督
内閣スティーヴン・ハーパー
ポール・マーティン
在任期間2005年9月27日 - 2010年10月1日
元首エリザベス2世
テンプレートを表示

ミカエル・ジャン(フランス語: Michaelle Jean, 1957年9月6日 - )は、第27代カナダ総督(在任:2005年9月27日 - 2010年10月1日)を務めた。ハイチ系カナダ人。CBC(カナダ放送協会)の元ニュースキャスター。現在は枢密院枢密顧問官。

2005年8月4日に就任が決定し、カナダの女性総督としては3人目となった。黒人としては初めてのカナダ総督となった。初の中国系総督エイドリアン・クラークソンの後を引き継ぎ、ポール・マーティン首相に指名され、エリザベス2世に承認された。総督はカナダ女王の代理を務める事実上カナダの元首であり、カナダ軍の名目上の最高司令官 (Commander-in-Chief) を兼ねる。総督としての任期終了後、現在は枢密院枢密顧問官(終身職)。
経歴

ハイチポルトープランスに生まれる。ジャンが最近和解した父はフランソワ・デュヴァリエ政権の下で拷問を受け、30年間家族と隔離された哲学者だった。1968年にデュヴァリエ独裁政権下のハイチから難民として逃れた。家族はセットフォード・マインズ(英語版)に移住した。幼少期はカナダで少数の黒人であったために差別を受けたという。

モントリオール大学イタリア語スペイン語文学の学位を得、その後1984年から1986年まで修士学位を得ようとイタリアの比較文学の研究をした。その後もフィレンツェ大学ペルージャ大学サクロ・クオーレ・カトリック大学などで文学と言語の研究のために学んだ。

その傍ら、1979年から1987年にかけてジャンは暴力を受けた女性のシェルターで働いた。後にはカナダの女性とこどものシェルターのネットワークの設立を支援した。また、カナダへの移民を支援する組織でも働き、後にケベック州文化社会委員会でカナダの雇用と移民のために働いた。そして移民女性としての経験を書き始めた。

フランス生まれの映画製作者ジャン=ダニエル・ラフォン(英語版)との結婚によりカナダとフランスの二重国籍を保持していたが、カナダ総督への就任に際し「カナダ総督および最高司令官としての職責に照らして」フランスの市民権を自発的に放棄した。

また、2007年8月にはカナダ軍最高司令官として、アフガニスタンで作戦中の部隊を訪問した。2009年7月に訪日、明仁天皇と会談した。

2010年のハイチ地震に際して、カナダ政府とメディアに対し支援要請と感謝を表明し[1]、総督としてハイチに対する強力なメッセージを打ち出した[2]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:26 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef