ミイラ(木乃伊)は、人為的加工ないし自然条件によって乾燥され、腐敗せず残っている人間またはその他の動物の死体である。
概要古代エジプトのミイラ(バチカン美術館所蔵)
宗教的理由などによるミイラづくりは紀元前から行なわれ、古代エジプトの遺跡からはミイラ自体のほか、人間や動物をミイラにする大規模な作業場の遺構も出土している[3]。
数百年、数千年を経て、いまだ生前の面影を漂わせるミイラもある。ミイラから採取したDNAを使ったクローン誕生は絶滅した動物については研究対象とされている[4]が、ミイラの組織においてはタンパク質が水分を失って不可逆的に変質しているため、水分を戻すことにより生命活動を復活させることは、現代の科学では不可能である。 死後、身体の腐敗が進行するよりも早く急激な乾燥(水分が人体組織の重量の50%以下になる)が起きると、細菌の活動が弱まる。脱水症状などの条件から死体の水分含有量が少ない場合にはミイラ化しやすい。自然発生ミイラが砂漠の砂の中からみつかることが多いが、これは急速な乾燥をもたらす自然条件のほかに、そこにできる死体が脱水症状を起こして餓死するなどで死亡したものであるため、死亡時の水分量がもとより少ないという条件が整っているからと考えられる。自然条件においては、成人一人がミイラ化するのに必要な期間は3か月と言われている。こういった自然のミイラは全身が完全なミイラとなっている例は少なく、身体の一部分のみがミイラ化して残っている場合が多い。 自然環境において全身ミイラが少ない理由の一つとして、死体の中で最初に腐敗が進行するのが内臓であることが挙げられる。自然状態においては内臓が体外に出ることがないため、人体の完全なミイラ化は起きにくい。ただし内臓が液化して体外に流出したり、野生動物に喰われたりしたあとに急速に乾燥するとミイラが形成されることがある。そのため、人為的にミイラを作る場合には、脳や内臓を摘出し、外部で火気などを用いて乾燥させ、あるいは薬品によって防腐処理を施した。その内臓は体内に戻すか、副葬品の壷の中などに納めるなどの手段が取られた。 古代エジプトではミイラ処置の手法は時代によって異なる点もあるが、分業制で専門の職人がいた。遺体の腐敗臭が酷い為、ミイラを処置する場所は町外れに置かれた。また身分階級によって工程数や値段には違いがあり、身分が高い王族やファラオは念入りに処置されたが、庶民などは安価で簡素な処置で済まされる事もあった。ミイラ処置の一例は以下の通り[5][6][7]。 日本語の「ミイラ」は16?17世紀、南蛮貿易などで渡来したポルトガル人から採り入れた言葉の一つで、ポルトガル語: mirra は元来「没薬」を意味していた。「ミイラ」への転義の詳しい経緯は未詳であるが、没薬がミイラの防腐剤として用いられた事実や、洋の東西を問わず“ミイラ薬”(ミイラの粉末)が不老長寿の薬として珍重された事実があることから、一説に、“ミイラ薬”(の薬効)と没薬(の薬効)との混同があったという[8]。 英語: mummy をはじめとするヨーロッパの各言語における名称は、中世のラテン語: mumia に由来し、それはさらにアラビア語: ?????? (m?miya')に由来し、アラビア語はさらに「蝋」を意味するペルシャ語: m?m に由来するとされる[9]。また、漢字表記の「木乃伊」は14世紀の『輟耕録』巻3に回回人の言葉として出現し、中国語では「蜜人」というとしているが、おそらくは同じ語に基づく[注釈 1][10]。日本語で機械的に音読みした「モクダイイ」はあまりにも原音から遠い印象があるが、北京語でこれを読むと「ムーナイイー」(普通話: mun?iy?)のようになる。『輟耕録』ではミイラを回回人の習俗として記し、手足をけがした人がミイラを食べるとたちどころに直ると記述している。『本草綱目』でも『輟耕録』を引用しているが、本当に効果があるかどうかはわからないとしている[11]。日本でもこの表記を中国語から借用し、「ミイラ」の語に充てるようになった。 16?17世紀のヨーロッパにおいて、ミイラは一般的な薬として広く使用されていた[12]。そのため、ミイラを取ることを生業とする者が増えた。なお、ミイラを取るためには墳墓の中に入ったり、砂漠を越えたりする必要があることから危険がつきまとい、ミイラを探す人間が行き倒れることもあった。彼らの死体がどれほどの確率で自然乾燥によりミイラ化したかは不明であるものの、このことを指して「ミイラ取りがミイラになる 2019年時点の研究では、世界最古のミイラは約5300年前から存在したとされる[14]。特に古代エジプトでは、紀元前3500-3200年のナカダ2期
生成
遺体の洗浄。
鼻の穴から細長い棒を差し込み、脳をかき出す。
胃腸や肺、肝臓などの臓器を取り出す。
腹部に没薬等を詰める。
全身をナトロンで覆い、一定期間(40日から70日)放置し、乾燥させる。
化粧や整髪、装飾品などを着け外見を整え、防腐処理を行う。
護符などを挟み込みながら、樹脂を浸したリネンの包帯を巻きつける。
棺に納めて遺族に渡す。
語源
ミイラの事例
古代エジプト
内臓を摘出した死体を70昼夜にわたって天然炭酸ナトリウム(ナトロン)に浸し、それから取り出した後、布で幾重にも巻いて完成させる方法でミイラが作成された。包帯を巻いたミイラのイメージは、この古代エジプトのミイラ作成に由来する。理性の場であると信じられていた心臓を除いた胸部と腹部の臓器や組織は下腹部の切開によって全て取り出され、脳の組織は鼻孔から挿入した鉤状の器具によってかき出された。取り出された他の臓器はカノプス壺に入れられて保管された。古王国時代は遺体を石膏で覆って彫像のようにする処置があり、第1中間期にはミイラマスク、中王国時代の第12王朝には人形棺が用いられるようになった。
犬、猫、ワニ、ヒヒ、トキなど、神の化身とされた動物のミイラも作成され、特に末期王朝時代以降に盛んになった。
後世になると松ヤニが染み込んだミイラは木の不足から工場や蒸気機関車の燃料として使われ、一般家庭でも包帯を燃やして調理の火に使われた[15]。特に貴族のミイラは松ヤニが多く使われていたため重宝された[15]。