Marlon Brando
マーロン・ブランド
『片目のジャック』(1961年)におけるブランド
本名マーロン・ブランド・ジュニア
生年月日 (1924-04-03) 1924年4月3日
没年月日 (2004-07-01) 2004年7月1日(80歳没)
出生地 アメリカ合衆国 ネブラスカ州オマハ
死没地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州ロサンゼルス
職業俳優
活動期間1944年 - 2004年
活動内容映画、舞台
配偶者アンナ・カシュフィ
受賞
アカデミー賞
主演男優賞
1954年『波止場』
1972年『ゴッドファーザー』
カンヌ国際映画祭
男優賞
1952年『革命児サパタ』
東京国際映画祭
男優賞
1989年『白く渇いた季節』
全米映画批評家協会賞
主演男優賞
1973年『ラストタンゴ・イン・パリ』
ニューヨーク映画批評家協会賞
主演男優賞
1954年『波止場』
1973年『ラストタンゴ・イン・パリ』
AFI賞
映画スターベスト100
1998年(男優部門第4位)
アメリカ映画100年のヒーローと悪役ベスト100(ヒーロー部門第23位)
2003年『波止場』
英国アカデミー賞
外国男優賞
1952年『革命児サパタ』
1953年『ジュリアス・シーザー』
1954年『波止場』
エミー賞
助演男優賞(ミニシリーズ/テレビ映画部門)
1979年『ルーツ2』
ゴールデングローブ賞
主演男優賞(ドラマ部門)
1954年『波止場』
1972年『ゴッドファーザー』
ゴールデンラズベリー賞
最低助演男優賞
1996年『D.N.A./ドクター・モローの島』
その他の賞
備考
『タイム』は彼の功績を称え、20世紀最高の俳優に選んでいる。
テンプレートを表示
マーロン・ブランド(Marlon Brando、1924年4月3日 - 2004年7月1日)はアメリカの俳優である。20世紀の最も影響力がある俳優のひとりとされ[1]、2つのアカデミー賞、2つのゴールデングローブ賞、カンヌ国際映画賞、3つの英国アカデミー賞など、6つの年代にわたって数多くの賞を受賞した。ブランドは様々な問題の活動家でもあり、特に公民権運動と多くのネイティブ・アメリカンの活動に参加した。1940年代にステラ・アドラーに師事したブランドは、一般大衆にスタニスラフスキー・システムとメソッド演技法を広く知らしめた最初期の俳優に数えられる。
ブランドは当初、ブロードウェイにおいてテネシー・ウィリアムズの戯曲『欲望という名の電車』の主役スタンリー・コワルスキーを演じて好評を博し、1951年の映画版でも同役を演じることで最初のアカデミー主演男優賞ノミネートを受け名声を得た[2]。ブランドは『波止場』のテリー・マロイ役の演技でさらなる評価を受け、初めてアカデミー賞とゴールデングローブ賞を受賞した。『乱暴者』における反抗的なバイク・ギャングのリーダー、ジョニー・ストラブラーの演技はポピュラー・カルチャーの永続的なアイコンと化した[3]。ブランドは『革命児サパタ』でのエミリアーノ・サパタ役、シェイクスピアの戯曲『ジュリアス・シーザー』の1953年の映画版でのマルクス・アントニウス役、ジェームス・A・ミッチェナーによる1954年の小説の映画版『サヨナラ』(1957年)でのロイド・グルーヴァー空軍少佐役でアカデミー賞ノミネートを受けた。
1960年代に入るとブランドのキャリアは商業的にも批評的にも陰りを見せた。ブランドはカルト西部劇『片目のジャック』の監督と主演を務めたが批評的にも興行的にも失敗に終わった。その後は『戦艦バウンティ』(1962年)を初めとして、数々の興行的な失敗作に立て続けに出演した。10年間の不振の末、ブランドはフランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー』におけるヴィトー・コルレオーネ役のスクリーン・テストを受けることに合意した。