マーディア十字軍
十字軍中
アフリカに上陸するフランス軍。フランス王国の紋章を付けた盾を持った人物はブルボン公ルイ2世。
時1390年7月1日-10月1日
場所マーディア, チュニジア
結果引き分け
衝突した勢力
フランス王国
ジェノヴァ共和国ハフス朝
ザイヤーン朝
ベジャイア
指揮官
ルイ2世アブールアッバース・アフマド2世
1291年以前
第1回
1101年
ノルウェー
ヴェネツィア
第2回
第3回
1197年
第4回
第5回
第6回
バロン
第7回
第8回
第9回
1291年以降
スミルナ (1343?1351)
アレクサンドリア (1365)
サヴォイア (1366)
マーディア (1390)
ニコポリス (1396)
ヴァルナ (1443)
オトラント (1481)
北方十字軍
ヴェンド (1147)
スウェーデン
カルマル(1123)
1150年
1249年
1293年
リヴォニア (1198?1290)
プロイセン (1217?1274)
ノヴゴロド (1241?1242)
リトアニア (1283?1410)
民衆十字軍
民衆 (1096年)
少年 (1212)
羊飼い (1251)
貧者 (1309)
羊飼い (1320)
対キリスト教徒/異端十字軍
ボスニア (1235?1241)
アルビジョア派 (1209?1229)
アラゴン (1284/5)
ディスペンサー (1382/3)
フス派 (1419?1434)
レコンキスタ (718年-1492年)
バルバストロ (1063)
バレアレス (1113-1115)
ナバス・デ・トロサ (1212)
マーディア十字軍またはバルバリア十字軍は、1390年にチュニジアに上陸した、フランス王国軍とジェノヴァ共和国軍による十字軍。ハフス朝の都市マーディアを包囲したが、成功しないまま撤退した。フロワサールの年代記などでは、これが最後の十字軍であるなどと言った評価を与えている。 百年戦争の小康期にあったこのころ、フランスの騎士は名声を得る場を求めていた[1]。そこでジェノヴァの使節がフランス王シャルル6世に十字軍の話を持ち掛けた。当時北アフリカ沿岸ではムスリムのバルバリア海賊が猛威を振るい、海洋国家ジェノヴァは少なからぬ被害を受けていた。その海賊の拠点が、バルバリア海岸のマーディアだった。
背景