マーティン・ロイドジョンズ
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デイヴィッド・マーティン・ロイドジョンズ(David Martyn Lloyd-Jones、1899年12月20日 - 1981年3月1日[1])は、20世紀のプロテスタントに大きな影響を与えた改革派福音派陣営の牧師である。

ほぼ30年の間ロンドンウェストミンスター・チャペルの牧師であった。彼はウェールズイングランドの多くの教派が受け入れたリベラル神学が非聖書的であるとして強く反対した。そして真理と御霊によらない一致はないとしてエキュメニカル運動からの分離を訴え、特にエキュメニカル派のイングランド国教会聖公会アングリカン・コミュニオン)から、福音的なクリスチャンが出てくるように呼びかけた。

20世紀最大の説教者とも呼ばれ、講解説教で有名であり、福音派では金科玉条のように読まれているが[2]伝道者としてのロイドジョンズも注目されるようになった[3]

ロイド=ジョーンズと転写されることもあるが、近年の日本語訳はほとんどが「ロイドジョンズ」を用いており、著書の翻訳でロイド=ジョーンズと表記された例はない。以下でも「ロイドジョンズ」を用いる。
生い立ちと初期のミニストリー

ロイドジョンズは、ウェールズカーディフに生まれ、ウェールズ・メソジスト・リバイバルの地スランゲイソーで育った。彼は1914年-1916年ロンドングラマー・スクールに通い、また聖バーソロミュー病院(St Bartholomew's Hospital)の医学生となった。1921年から宮廷侍医トーマス・ホーダー卿の助手として働き始めた。2年の間、説教者としての召命に格闘した後、牧師として招聘されウェールズに帰郷した。
ウェストミンスター・チャペルWestminster Chapel

10年の間ウェールズで牧会した後、1939年ウェストミンスター・チャペルキャンベル・モルガンに共同牧会者として招かれロンドンに戻った。彼が公式に牧師として任じられる日に、ヨーロッパで戦争が勃発した。同年、イギリス連合王国のキリスト者学生会IVF(現Universities and Colleges Christian Fellowship)の総裁となった。モルガンは1943年に引退した。

ロイドジョンズはその講解説教で知られる。彼が説教をする主日朝の礼拝は約千五百人、夕礼拝は約2千人が出席した[4]。金曜日の聖書研究も同じスタイルだった。彼は聖書の1章の講解に何ヶ月あるいは何年もかけた。約1時間の説教は、ロンドンの大学から多くの大学生を引き寄せた。説教は筆記されて、ウェストミンスター・レコードが週に一度印刷され、熱心に読まれた。

1966年にロイドジョンズは福音同盟の会議において、すべての福音的な牧師たちに、リベラルと福音主義の混合した教派(特にイングランド国教会)を離れ、福音派を形成するように呼びかけた。そのためキリスト教界の出版物で論争が起こった。アングリカン内の福音派指導者ジョン・ストットはこれに反対し、ストットらはアングリカンに残留することになった。この時離脱は起こらなかったが2009年に入ってから、リベラルなカナダ聖公会米国聖公会から分離して、北米聖公会が形成された。
晩年

ロイドジョンズは1968年、ウェストミンスター・チャペルの牧会から退いた。彼は「聖霊による喜び」(ローマ14:17)を十分に知らなかったために、神が、それ以上説教するのを止められたと語った。彼は一生、説教の出版、他の牧師への助言、手紙への返事、会議への出席に集中した。彼のもっとも有名な説教集は、1970年に第一巻が出版されたローマ教会への手紙である。[5]

彼はイングランドで長く生活し、主の働き人として仕えたが、ウェールズの出自を誇りに思っていた。彼はウェールズ福音主義運動の説教者であり、英語ウェールズ語で説教した。彼が天に召された後、運動は英語とウェールズ語で書かれた説教と論文を出版した。

1980年6月8日のバプテスト教会の講壇が最後の説教となった。1981年3月1日、働きを終え、平和の内に眠りながら召天した。彼は西ウェールズに埋葬された。記念礼拝は4月6日、ウェストミンスター・チャペルで持たれ、多くの人が参加した。

ロイドジョンズに関しては多くの出版物があるが、イアン・マーレーの伝記がよく知られる。
遺産
福音派と聖霊派

ロイドジョンズは今日のキリスト教界の多くの教派で支持されている。聖霊派との交わりについて議論があるが、聖霊派の指導者の多くが彼に敬意を払う。彼は聖霊による回心、新生とは別の体験として、聖霊のバプテスマを教えていた[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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