Martin Balsam
マーティン・バルサム
1960年代
本名Martin Henry Balsam
生年月日 (1919-11-04) 1919年11月4日
没年月日 (1996-02-13) 1996年2月13日(76歳没)
出生地ニューヨーク
死没地ローマ
国籍 アメリカ合衆国
配偶者Pearl Somner (1952-1954)
ジョイス・ヴァン・パタン (1959-1962)
Irene Miller (1963-1996)
主な作品
『十二人の怒れる男』(1957年)
『サイコ』(1960年)
マーティン・バルサム(Martin Balsam, 1919年11月4日 - 1996年2月13日)は、アメリカ合衆国の俳優。身長169センチ。 俳優としての特徴 ニューヨーク市ブロンクス区出身で、両親はユダヤ系である[1][2]。ニューヨークのザ・ニュー・スクール(The New School
略歴
1947年、エリア・カザンとリー・ストラスバーグに見出され、アクターズ・スタジオのテレビプログラムに出演し、以後、多くのテレビ・映画に出演した。1965年の『裏街・太陽の天使』(未/テレビ放映)でアカデミー助演男優賞を受賞している。1967年には、You Know I Can't Hear You When the Water's Running でトニー賞を受賞した。
1950年代から1970年代はハリウッド・メジャー作品の重要な脇役を数多く務め、『十二人の怒れる男』(1957年)、『ティファニーで朝食を』(1962年)、『オリエント急行殺人事件』(1974年)、『大統領の陰謀』(1976年)等があり、実録調戦争大作『トラ・トラ・トラ!』(1970年)では実質的な主役であるキンメル将軍を演じた。また、ハリウッド映画のみならず、イタリア映画等の外国映画にも進出した。
2番目の妻ジョイス・ヴァン・パタンとの間の娘タリア・バルサムも女優になった。
1996年2月13日、ローマのホテルで死去。
イタリア映画での活動
1960年代前後から数多のハリウッド俳優がスティーヴ・リーヴスやクリント・イーストウッドの成功に倣って大挙してイタリア映画界に乗り込んだ。また、若手ばかりではなく、イーライ・ウォラックやリー・J・コッブ、アーサー・ケネディー等の実績あるベテラン俳優も少なくなかった。
バルサムもそう言った一人で、ヴィットリオ・デ・シーカ監督の『紳士泥棒/大ゴールデン作戦』(1965年)を手始めに、1980年代の末までイタリア映画に時折出演した。ダミアーノ・ダミアーニ監督の『警視の告白』(1971年)の様な社会派物からエンツォ・G・カステッラーリ監督の喜劇色の強いマカロニ・ウエスタン『オニオン流れ者』(1976年)、アントニオ・マルゲリーティ監督の『ユル・ブリンナーの殺人ライセンス(デス・レイジ)』(1976年/未/ビデオ)、犯罪喜劇『ガーデニア』(1979年/未/テレビ放映)等が代表的な作品である。また、ジュリアーノ・ジェンマやフランコ・ネロ、トーマス・ミリアン、フランシスコ・ラバル等のスターとも共演した。