マーティンズビル市
City of Martinsville
マーティンズビル市アップタウン地区
位置
バージニア州におけるマーティンズビル市の位置
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯36度41分10秒 西経79度52分9秒 / 北緯36.68611度 西経79.86917度 / 36.68611; -79.86917
マーティンズビル(英: Martinsville)は、アメリカ合衆国バージニア州南部に位置する独立市である。周りをヘンリー郡に取り囲まれている。2010年国勢調査での人口は13,821人だった[1][2]。アメリカ合衆国商務省経済分析局は統計上の目的で、マーティンズビル市とヘンリー郡を1つにしている。
市域のすぐ外、リッジウェイの町にマーティンズビル・スピードウェイがある。1947年に建造されたこのトラックは舗装された「スピードウェイ」として最初期のものであり、ペーパークリップに譬えられる周回長0.526マイル (847 m) のコースは、NASCARのストックカー・レース場として最短のものである。
マーティンズビル市は、ヘンリー郡を併せて構成されるマーティンズビル小都市圏の主要都市である[3]。この小都市圏の人口は2000年時点で73,346人だった。
歴史初期のタバコ製造者ヘンリー・クレイ・レスターの家、マーティンズビル市メインストリートにあったが、1940年代初期に火事で焼失したヘンリー郡庁舎広場、1890年頃ジョセフ・マーティン将軍(1740年-1808年)、アルベマール郡で生まれ、ヘンリー郡で死んだ
マーティンズビル市はジョセフ・マーティンによって設立された。マーティンはアルベマール郡で生まれ、アメリカ独立戦争の将軍、インディアン代理人、探検家だった[4]。そのプランテーションである「スカッフル・ヒル」は現在の市域に近いスミス川の岸にあった。マーティン将軍と独立戦争時の愛国者パトリック・ヘンリーが親友であり、ヘンリーに因んでヘンリー郡が名付けられ、ヘンリーも短期間だが郡内に住んだ。
市初期の主要産業は噛みタバコの製造だった。ヘンリー郡は「世界の噛みタバコ首都」と呼ばれる地域になった。南北戦争後にプランテーション経済が崩壊すると、地元経済も停滞するままになった。事態を打開したのはタバコ製造会社数社であり、19世紀から商品を全国に販売した。
地元の家族はこれらの会社に深くかかわり、その会社に自分の名前を関して20世紀初期までかなりの利益を上げていた。20世紀に入るとR.J.レイノルズやジェイムズ・ブキャナン・デュークがこれらの会社の大半を買収してモノポリが進んだ(大半の場合、大胆な反競争的行為の中で、この2人の巨人は一夜にしてその獲得した会社を閉鎖した[5]。このことで後にアメリカ合衆国政府はタバコ会社に対する訴訟を起こすことになった[6])。初期の会社の中には、D・H・スペンサー&サンズやスペンサー・ブラザーズがあった。その他、グレイブリス、コンプトンズ、ラッカーズ、ウィトンズ、レスターズ、ブラウンズといった初期の会社設立に加わった家族もいた。
マーティンズビル市で1世紀にわたって主要産業になっているのが家具製造業であり、バージニア家具の製造メーカーが現在もこの地域にある。マーティンズビル市は1928年に独立市になることを宣言したが、ヘンリー郡の郡庁所在地であることは続けた。しかし現在、郡庁所在地は名ばかりであり、ヘンリー郡の管理と裁判所機能は近くのコリンズビルの町に移されている。
1941年、デュポン社がナイロン繊維を生産する大型工場を建設した。この繊維は軍需物資として重要であり、冷戦時代には戦略爆撃の目標にされた。このナイロン製造で、地域の繊維産業が急成長した。マーティンズビル市は「世界のセーター首都」と呼ばれた時期もあった。1990年代初期、世界的な経済構造の変化と新しい貿易条約の締結により、マーティンズビルの繊維と家具の製造は立ちいかないものになった。多くの会社が閉鎖され、数千人の労働者を解雇した[7]。