マーサー郡_(ミズーリ州)
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ミズーリ州マーサー郡
マーサー郡庁舎とプリンストン中心街
郡のミズーリ州内の位置
州のアメリカ合衆国内の位置
設立1845年2月14日
郡庁所在地プリンストン
面積
 - 総面積
 - 陸
 - 水
1,179 km2 (455.18 mi2)
1,176 km2 (454.18 mi2)
3 km2 (1.00 mi2), 0.22%
人口
 - (2010年)
 - 密度
3,785人
3人/km2 (8人/mi2)
標準時中部: UTC-6/-5

マーサー郡(: Mercer County)は、アメリカ合衆国ミズーリ州の北部に位置するである。2010年国勢調査での人口は3,785人であり、2000年の3,757人から0.7%増加した[1]郡庁所在地はプリンストン市(人口1,166人[2])であり、同郡で人口最大の都市でもある。マーサー郡は1845年2月14日に設立され、郡名はアメリカ独立戦争に従軍したジョン・フランシス・マーサーに因んで名付けられた。
歴史
郡成立初期

マーサー郡は1845年2月14日にグランディ郡から分離して設立された[3]。郡名はアメリカ独立戦争に従軍したジョン・フランシス・マーサーに因んで名付けられた。現在のマーサー郡となった領域で最初の恒久的開拓地ができたのは1837年のことであり、幾つかの家族がミズーリ州の他の地域から移って来たものだった。テネシー州生まれのジェイムズ・パーソンズが1837年春の最初の恒久的入植者だと考えられている[4]。当時はリビングストン郡に属しており、1841年には新設のグランディ郡の一部となった。1837年より前では、主にサク・アンド・フォックス族やポタワトミ族インディアンが狩猟場として使っていた。これら部族によって一時的な狩猟用宿営地ができることがあったが、それ以外では人は居なかった。アメリカ独立戦争のプリンストンの戦いで戦死したヒュー・マーサー将軍に因み名付けられたプリンストンの町が、1847年に郡庁所在地として設立された[5]。郡の北側境界線は、ミズーリ州とアイオワ州の間におきた流血沙汰の境界紛争、ハニー戦争のために、郡ができてからも6年間は紛争が続いた。1851年にアメリカ合衆国最高裁判所の採決で州境が確定し、境界線は9.5マイル (15 km) 南に下った。
南北戦争

南北戦争のとき、マーサー郡は東に隣接するパットナム郡と共に北軍の確たる支持者だった。郡民の多くはペンシルベニア州オハイオ州インディアナ州など「バックイースト」と呼ばれた北部の出身であり、州北部にあるメイコン郡アウドレイン郡モンロー郡など他郡のような強い奴隷所有制度の伝統が無かった。他郡は南部州から移ってきた者が多かった(一般にリトルディキシーと呼ばれた)。1860年の国勢調査では、マーサー郡で12家族が奴隷所有者となっており、奴隷の総数は24人だった[6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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