マーサズ・ヴィンヤード手話
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マーサズ・ヴィンヤード手話[* 1]

Martha's Vineyard Sign Language(MVSL)
使われる国アメリカ合衆国
地域マーサズ・ヴィニヤード
消滅時期1952年
言語系統村落手話(英語版)
初期形式Old Kentish Sign Language

Chilmark Sign Language[1]

方言サンディー・リバー・バレー手話(英語版)
言語コード
ISO 639-3mre
'"`UNIQ--templatestyles-00000003-QINU`"'Linguist List ⇒mre
Glottologmart1251[2]
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マーサズ・ヴィンヤード島の地図。大まかに三角形で、横幅は33 kmある。マーサズ・ヴィンヤード島とエリザベス諸島(英語版)の航空写真

マーサズ・ヴィンヤード手話(英語: Martha's Vineyard Sign Language、通称MVSL)[* 1]は、北米東海岸マーサズ・ヴィンヤード島で、18世紀初期から1952年まで広く使われていた村落手話(英語版)である。
概説マーサズ・ヴィンヤード手話の歴史についてのジョアン・プール=ナッシュ(: Joan Poole-Nash)の講演(55分56秒。2014年3月、ブリストル・コミュニティ大学(英語版)にて。)

こうした村落手話が広く使われた背景として、当時、聴覚障害をもつ島民の割合が非常に高く、その聴覚障害(ろう)が、それぞれ両親から同タイプの遺伝子を受け継ぐ場合のみ発現する形質、すなわち潜性[* 2]であったためであり、故に島のほとんど誰もが、ろう者と聴者両方の兄弟姉妹をもつ場合があった[* 3]
起源

同島のろう者の祖先は、イギリスケント州ウィールド(英語版)として知られる、イングランド南東部の森林と小農場が広がる地方にまで遡ることができる[4][5]。現在の研究では、16世紀のケントの古ケント手話(英語版)がMVSLのルーツだろうと考えられている。

17世紀初頭、ウィールドの清教徒コミュニティから英領アメリカマサチューセッツ湾植民地へ、家族単位での移民複数があり、遺伝性ろう者は遅くとも1714年までには同島に存在していた。その末裔の多くは後に同島に入植する。定住者初のろう者として知られる人物は、1694年に聴者の妻を伴ってマーサズ・ヴィンヤードに移住した、大工で農夫のジョナサン・ランバート(: Jonathan Lambert)であり、以後1710年まで移民が続いた。こうして形づくられた内婚制共同体(: endogamous community)[* 4]は、以降200年以上に渡って遺伝的ろう者が高い割合で生まれ続けた。

18世紀までに独自のチルマーク手話(: Chilmark Sign Language)が存在し、19世紀にフランス手話に影響を受け、20世紀までにMVSLへと発展、18世紀後半から20世紀初期にかけては、ほぼすべての島民がMVSLを母語とした。
ろう者の比率と地理的特徴

1854年にはろう者の人口比がピークを迎え、アメリカ合衆国の平均が5730:1であったのに対し、ノラ・グロースによる1800年代後半の調査によると、同島出生者では155:1だった。島の西部に位置したチルマーク(英語版)の町[* 5]では25:1という高さで、さらにチルマークの中でも人口60人のスキブノケット(: Squibnocket)地区では、ある時点で4:1を記録した[4]
島のろう者の生活

MVSLの依存者は異質とは言え、一般的な同島の居住者として聴者と等しく実生活を送ることができた。ろう者は複雑な労働にも単純な労働にも就き、島の各種イベントに参加し、コミュニティにも加わっていた。この点が世界の他のろう者コミュニティとは対照的である。メキシコの地方のろう者によく似たコミュニティがあるが、そちらに永続的に生活する聴者は僅かであり[7]、他のろう者のコミュニティは、聴者の人々から孤立していることがしばしばである。この時代の同島のコミュニティは、聴者のコミュニティと融合した例外事例である[8]

ろう者のMVSL使用者は、同島のろう者以外から除け者にされることはなかったが、ろうであるが故に直面する課題もあった。ろう者と聴者の結婚は共にMVSL使用者であったとしても、結婚生活の維持には非常な困難が伴った。その為にろう者間の結婚が普通で、結果として同島の近親交配の割合を高めることになった[9][10]。MVSL使用者達は互いに親しくよく連携し、他のろう者にろう故の課題がある際はそのために助け合い、協力して解決を図った。MVSL使用者達はコミュニティのイベントを盛り上げることを通じて、聴者の若者にMVSLをより理解できるように教育した。この手話は、聴者の子供にもその幼少期に使用され、入学時に接する多くのろう者とのコミュニケーションを取れるように教え込まれ[11]、唇の動き、手の動き(ジェスチャーとしての手振り)、慣用される身振り、顔の表情などが教えられた[12]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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