マーゴ
Margo
『目撃者』(1936)の宣材写真
本名マリア・マルゲリタ・グアダルーペ・テレサ・エステラ・ブラド・カスティーリャ・オドネル
別名義マーゴ・アルバート
マルガリータ・アロンソ・イ・カスティーリャ
マーゴ・ボラド
生年月日 (1917-05-10) 1917年5月10日
没年月日 (1985-07-17) 1985年7月17日(68歳没)
出生地 メキシコ メキシコシティ
死没地 アメリカ合衆国 カリフォルニア州パシフィック・パリセーズ
マーゴ(Margo、1917年5月10日 - 1985年7月17日)とは、メキシコ出身のアメリカ合衆国の女優、ダンサー[1]。代表作は、『失はれた地平線』(1937年)、『レオパルドマン 豹男』(1943年)、『革命児サパタ』(1952年)、『明日泣く』(1955年)。1945年に俳優のエディ・アルバートと結婚し、マーゴ・アルバート(Margo Albert)としても知られる。 1917年、メキシコシティの生まれ。出生名マリア・マルゲリタ・グアダルーペ・テレサ・エステラ・ブラド・カスティーリャ・オドネル(Maria Marguerita Guadalupe Teresa Estela Bolado Castilla y O'Donnell)。家は音楽的才能のある家庭だった。幼少の頃、リタ・ヘイワースの父エドゥアルド・カンシーノの下でダンスを学ぶ[2]。9歳で、叔父のザビア・クガート楽団とともにメキシコのナイトクラブでプロとして踊りだす[3]。アメリカに渡り、叔母で歌手のカルメン・カスティージョとニューヨークで暮らす[4]。叔父のバンドと一緒にニューヨークのウォルドルフ=アストリアで公演していたところ、『情熱なき犯罪 マーゴは1960年代まで映画に出演していたものの、1950年に始まったハリウッド・ブラックリストのせいで仕事が激減していた。同様に標的にされた人々の中には、ジプシー・ローズ・リー、ジーン・ミューア、ヘイゼル・スコット、アイリーン・ウィッカーらがいる。マーゴは共産党員ではなかったが、進歩的な政治路線で知られていた[6]。1950年、反共主義のパンフレット「Red Channels」にマーゴ夫妻の名前が載った[7][8]。マーゴはハリウッド・テンを支持したなどの理由から共産主義者のレッテルを貼られていた[9]。 息子エドワード・アルバートは1972年12月のインタビューで両親のブラックリストについてこう語っている。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}母さんは反=フランコ集会に参加したからブラックリスト入りしたんだ。共産主義者の烙印を押されて、通りで唾吐かれ、ボディガードを雇わなくちゃいけなくなった。父さんはこれからという時にメジャーのスタジオから締め出された。
生涯
ブラックリスト